すると、僕が交代して汲み上げる。僕は体力的に5分も続かないから、すぐに父に代わってもらうことになる。それでも風呂桶から水があふれるまでには4、5回は父に代わってやったかな。それはそれで楽しかったですね。
父は「母さんには内緒だぞ」と、時折、小遣いを僕の手に握らせてくれました。小柄な体格でしたけど、その手はゴツゴツしていました。
旧国鉄の職員で電気工事畑の人間で、当時は全国各地で新線の建設や、既設線の延伸工事が盛んでしたから、父は、たえず出張していました。
只見川線の工事では、突然、山道に飛びだしてきたツキノワグマを、皮の長靴で蹴飛ばしたこともあったらしいですね。そんな現場なら、手もゴツゴツになることでしょう。その父の手の感触は、今も残っています。
母に内緒で父から貰った小遣いを貯めて、国語辞典を買ったのを覚えています。あの父の荒くゴツゴツして温もった手の感触が、子供心に伝えてきたもの。
うまく言えないけれど、国語辞典を買ったのがそれの答えだったということでしょうか。
志茂田景樹 著
83歳になった僕の手は、ぬるっとして柔らかい。
もし孫がいたとしたら、何かの手伝いの際に小遣いを手渡し、
「これで推しのアイドルグループの公演に行きなよ」
と、言ったとすると、孫は、その通りにするでしょうね。
でも、ぬるっとした柔らかい手では、別のことは伝わらないと思うのです。
昔は昔でみんないい、今は今でみんないい。
昔あって、今はないものの答えは、それでいいか。
変化していく時代を比べても、たいして意味はない。
今をどう生きるかが問題だもの。