――あ、スタートが○○なだけで。

リオ:スタートが○○で、バンドの楽しさも○○で学んだんだけど、ここに居続けたらツアーバンドとかみてるとレベルが違いすぎて、これじゃ闘えないと思って。もっとツアーバンドとバチバチ当たって勉強ができる場所に行こうと。

「これじゃ闘えない」。ときにバンドマンたちは、自分が主として活動するライブハウスを「ホーム」と呼ぶ。ここで取り上げた者たちにとっては、一つの「ホーム」に留まるのではなく、より規模が大きく威信の高いライブハウスに進んでいくことが重要だと考えられている。それこそが、夢を実現していくプロセスにほかならないからである。

満足しないからこそ
夢を追い続ける

――ここまで行ったらとりあえず俺は満足だっていうのはある?

リョウ:いや、満足はどんだけやってもしないかもしんないっす。武道館行ってライブしましたってなっても満足はしないかもしんない。でもさすがにグラミー賞獲ったとかだったら、もう俺バンドやめてもいいやって思うかもしんないすけど。

 リョウは、「満足はどんだけやってもしないかもしんない」と語る。それほどまでに夢追いは維持されるわけだが、夢追いを批判されたり、失敗や挫折を経験したりしてもなお夢を追い続けるメカニズムとは何なのか。

 バンドマンたちは数々の批判を受けている。特に離学時点では、正規就職をして標準的ライフコースを歩んでほしい家族と、正規就職せずに夢を追いたいバンドマンとの間で衝突があった。標準的ライフコースはその「標準性」と「規範性」ゆえに、現在も「望ましい」生き方とみなされている。したがって、家族からだけでなく、また離学以降にも正規就職しないのかと問われ、夢を追っていることに対して否定的なまなざしを向けられるのである。

 しかし、バンドマンの視点に立てば、この正規就職こそが忌避されるべきもの。かれらは、正規就職を含む標準的ライフコースが社会的に「望ましい」とされることについて十分に承知したうえで、それでも夢を追っている。