文豪・三島由紀夫も
身長コンプレックスを抱えていた?

今回紹介する文豪(2):三島由紀夫(1925-1970)
小説家・劇作家。本名・平岡公威。東京生まれ。東大卒。学習院中等科時代に『花ざかりの森』でデビュー、『仮面の告白』で作家としての地位を確立する。1968年、民間防衛組織「楯の会」結成。1970年、自衛隊市ヶ谷駐屯地で隊員の決起をうながすが、失敗して割腹自殺。『潮騒』『金閣寺』、戯曲『サド侯爵夫人』など。
高身長には課税せよ?夏目漱石159センチ、三島由紀夫163センチ…身長コンプレックスに悩んだ文豪たちこじらせ文学史 ~文豪たちのコンプレックス~』(ABCアーク) 著:堀江宏樹 価格:税込1650円

 三島の身長は163センチ。当時としてもかなり小柄で、虚弱で、か細い肉体に強いコンプレックスを持っていた。徴兵検査の際、農村の青年たちが軽々と持ち上げる米俵を<私は胸までもちあげられず>、恥ずかしかったと『仮面の告白』に書いたが、この会場にいた級友の証言によると、三島は胸どころか、地面から10センチしか持ち上げられなかったという。

 のちにボディビルだけでなく、空手、剣道、ボクシングと熱心に肉体を鍛えるようになるが、<切腹して死ぬ時に、脂身が出ないように、腹を筋肉だけにしている>と発言している(※中川右介『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』)。三島は切腹愛好者のさまざまなイベントに参加し、榊山保の筆名で好事家向けに男色切腹小説『愛の処刑』を書いた。

 出自にもコンプレックスがあった。学習院出身の「貴族」という自己イメージにこだわるがあまり、貧農あがりの成り上がりという経歴を持つ父方の祖父・定太郎については、自分で作成した年譜では一切触れようとせず、父親からも呆れられていた。

(文豪こぼれ話)太宰は「規則的な生活」でなんとかなった?

 大学時代、三島は<僕は太宰さんの文学はきらいなんです>とわざわざ太宰に会いに行って放言している。しかし<そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ>と、太宰節全開で返されてしまい、三島は余計に怒り狂った(※『太陽と鉄・私の遍歴時代』)。

 後年、三島は<太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった>(※『小説家の休暇』)と当時を振り返っているが、どう考えても不可能だろう。