自信過剰になることは
時にはメリットをもたらす

 古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、「無知の知」の大切さを語った。私たちはさまざまなことについて無知であるけれども、自分の無知を自覚することはできる。そのような無知についての知をもつことが、人間を賢い存在にする。これがソクラテスの教えである。ところが未熟な人は、ソクラテスのいう「無知の知」をもつことができない。未熟な人は、自分が無知であることを知らず、自分はいろいろなことを知っていると思い込んでしまう。

 ダニングとクルーガーは、このような「無知についての無知」を、さまざまなデータから実証した。無知な人は、自分のことを分析する能力が低いので自信過剰になり、結果として仕事がうまくいかない、というのである。

 けれども、自信過剰になることは、そんなに悪いことなのか。D・ダニングは後に『自己洞察力』(2005年)で、自分の能力を楽観視したり過大な自己評価を抱いたりすることには、ときにはメリットがあると指摘している。(3:Dunning(2005:164-165))自分の能力に自信がある人は、挑戦的な仕事に長く取り組むことができるので、よりよい成果を上げることができる。また、自分の身体能力に自信がある人は、いっそうスタミナがあり、負けたときにもくじけず努力する。楽観的な人は、より健康的で免疫系が強く、自分の健康にプラスとなる行動をとる。このように、自分の能力に対して楽観的で自信のある人は、生きる力をもっている。この生きる力が、最高の成果へと導いてくれることがあるという。

 自信過剰になると、一方では努力を怠り、成果を得ることができなくなる。しかし的確な自己認識を持てば人生がうまくいくのかというと、そうでもない。適度な自信過剰は、成果を上げたいという意欲をもたらしてくれる。また、成果を上げるために必要なスタミナや健康、粘り強さなどをもたらしてくれるだろう。

 かつてソクラテスは「無知の知」の賢さについて語ったが、ダニングとクルーガーは、無能な人は自分が無能であることを自覚すらできないという「無知の無知」について語った。

 けれども、「無知の知」をもたない人は、幸いである。自分がいかに無知であるかを知らず、自分の能力を信じることができるからである。自分の能力を信じることができれば、大きな成果を上げることができるだろう。