尖閣諸島問題や歴史問題を巡って、東アジアの主要国間の外交関係が緊張し、摩擦が尽きない時節だったからだろう。欧州勢からの「忠告」が続いた。

「欧州にも戦争の傷跡、歴史問題はあったが、それらを乗り越えて独仏和解、EU創設を達成した」

「東アジアも同様にできるのではないか」

 アジアの実情や関係国の内政力学に疎いナイーブな議論だった。上から目線と形容されても仕方ないような、いささかお節介なアドバイスが続いた。その後の欧州を混乱させたブレグジット騒動にかんがみれば、何とも皮肉なやりとりでもあった。

 そんな中、独仏英といった西欧諸国と違って日中韓が民主主義、人権、法の支配、市場経済といった基本的価値を共有するには至っていないこと等、説明したのは私だった。中国を同じ土俵において論じることの無定見を理解させるため、ある評論家の発言を引用しながら、欧州におけるロシアとアジアにおける中国とを敢えて対比するアングルまで提示してみせた(編集部注/西欧諸国の伝統的な安全保障戦略は、対ロシアを念頭に置いている)。

 興味深かったのは、その際の秦剛の反応だった。

 何ら反論することもなく、寡黙な姿勢を保っていた。外交部のスポークスマンとしてたびたび露わにしてきた好戦的なまでの姿勢はそこにはなかった。

 基本的には聞き役に回り、受け身一辺倒。自らの知見を開陳して議論の深まりに貢献することもなかった。

 中国国内の要路に「見られている」ときの言動と、「見られていない」ときの言動で大いに差がある人物ではないかと観察された。こうした印象は、戦狼外交官たちのその後の立ち居振る舞いを見るにつけ、繰り返し裏付けられていくこととなった。

「信頼され、愛され、尊敬される中国」には
ほど遠いことを彼ら自身も知っている

 ちなみに、秦剛がロンドンの中国大使館のナンバー2を務めるに先立って駐英大使の任に就いていたのは有名な傅瑩(フーイン)という女性大使だった。英国大使を務める前は豪州大使を務め、流暢な英語を操り、ソフトな語り口ながらも中国の立場を毅然と主張する外交官だった。シルバーフォックスのようなショートカットとその服装により、中国の外交官としては洗練された雰囲気を醸し出すことにうまく成功していた。「優雅」という評価と同時に、「手ごわい」という評価が共に寄せられていた有能な外交官だった。