振り返ってみると、任国の政府相手だけではなく世論にも働きかけなければならないパブリック・ディプロマシー(編集部注/任国の政府相手だけではなく世論にも働きかける外交活動)の時代にあっては、中国の外交官として最も効果的に仕事をできるのは、傅瑩のようなタイプの外交官であったろう。しかしながら、秦剛のようなタイプの外交官が短命に終わったにせよ、外交部長にまで上り詰めたところに今の中国の外交官を取り巻く政治的環境、その下での外交官の行動形態が如実に反映されているように受け止めている。

 今も印象に残っていることがある。戦狼外交華やかなりし頃、傅瑩による寄稿記事が人民日報に掲載されたのだ。「信頼され、愛され、尊敬される中国になるべき」との趣旨の論評だった。

 もともと少数民族出身の傅瑩は大勢の流れに敏感と目されてきた。「信頼され」云々のくだりは、習近平自身が言った言葉でもある。

書影『中国「戦狼外交」と闘う』(文藝春秋)『中国「戦狼外交」と闘う』(文藝春秋)
山上信吾 著

 したがって、傅瑩が戦狼外交を批判したと捉えるのは早計だろうし、中国内政の力学を知る多くの人間もそのような見方はしていない。

 だが、欧米諸国とのやり取りで揉まれてきた傅瑩だからこそ、戦狼外交に対する欧米の警戒感を肌身で実感し、もたらし得る悪影響を緩和しようと努めた面はないだろうか?

 彼女のような外交官こそ、今の中国が国際社会で「信頼され、愛され、尊敬される」ような存在とは程遠いことを内心では重々認識しているのではないかと察している。

 このように見てくると、戦狼外交を巡って外交当事者の間で方針の対立があるというよりも、外交当局幹部が習近平やその体制に自らをアピールしようとしていると受け止めるべきだろう。習の意向を忖度し、忠誠心・忠義心を前面に出して競い合っている図柄が浮かび上がってくるのだ。