昔は「犬のフン」がよく落ちていたが…マナー改善したのに「不寛容な人」が増えたワケ写真はイメージです Photo:PIXTA

戦前戦後に比べて社会規範の水準が大幅に上昇した日本。人々のマナーはよくなり、性や結婚感の多様性に対して寛容になったと言われている一方で、SNS上では迷惑行為を批判する投稿が頻繁にバズっているのはなぜなのだろうか。本稿は、津田正太郎『ネットはなぜいつも揉めているのか』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

ネットで「炎上」する迷惑行為は
戦前の日本に比べたらうんと上品

 ツイッターでは以前から迷惑行為が炎上発生の大きな要因となってきました。警察に被害届が出されるほどの行為だけでなく、マナー違反程度の行為であっても批判の声が上がるのは珍しくありません。たとえば、ベビーカーを畳まずに満員電車に乗ったり、新幹線で餃子を食べたりしている乗客への苦情ツイートは無数に行われています。

 これらの事例をみていると、日本社会で暮らす人びとのマナーは以前よりも悪くなっていると思われるかもしれません。しかし、長いスパンでみるなら、以前と比べて人びとの社会規範の水準は大きく上昇しています。ライターの大倉幸宏による著作をひも解くと、戦前の日本には列車の座席をめぐって殴り合いになる乗客、混んでいるのに座席に自分の手荷物を置いたままの乗客、さらには食べ物のゴミを平気で床に捨てる乗客など、今日の価値観からすれば「いかがなものか」と言いたくなる人びとが数多く存在していたことがわかります。

 容器や包みだけでなく、ミカンやリンゴ、柿の皮、ビールや日本酒、牛乳、サイダーの瓶なども床に捨てられていました。駅弁と一緒に使い捨ての土瓶に入れられたお茶も売られていましたが、その空き瓶も同様に床の上に転がっていました。ゴミを床の上に置くだけならまだ許せるとして、窓から外へ弁当箱やビール瓶を投げ捨てるという悪質な行為さえありました。そのゴミが線路の保安員にあたって重傷を負うという事件も起きています。

 もちろん、こういったマナーの悪さは列車のなかに限られていたわけではなく、街頭や公園でのゴミのポイ捨てや唾吐きなども日常茶飯事でした。

 そうした状況は戦後になっても続きました。列車への投石によって乗客や乗員が重傷を負う事件が頻発し、公園では石やパチンコ玉で電灯を破壊する事件もしばしば起きていました。花見の会場ではゴミを散乱させるばかりか、桜の枝を折ってしまう花見客も多くいたといいます。