笑顔のシニア写真はイメージです Photo:PIXTA

大学院教授で情報番組やバラエティでも活躍する岸博幸氏は、昨年1月、血液のがんである多発性骨髄腫と診断された。ある日突然、余命10年を宣告されたとき、岸氏が「好き勝手に生きる」と決めた理由と前向きに日々を送るために大切にしていることとは。本稿は、岸博幸『余命10年 多発性骨髄腫になってやめたこと・始めたこと。』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

余命の告知は
「残りの人生を楽しめ」という天啓

 人生の残り時間の目安がわかるというのは、正直、すごく複雑な気持ちになる。でも、何事にもポジティブな面はある。生き方を変えるチャンスを手に入れたってすごいことだと思う。

 余命を告げられたということは、「これまで長い間頑張り続けたのだから、最後は好き勝手して、自分自身の人生を楽しんでいいよ」という天啓。そんな風にとらえても、いいのではないだろうか。

 僕と同様、「余命を告げられる」という経験をした人、あるいは、する人は少なくないだろう。そんな人たちに、声を大にして言いたい。人生の残り時間を告げられるということは、悲しい知らせではなく、自分最優先の生き方をするチャンスを得た、すごくラッキーなことなのだと。

 特に中高齢の人の多くは、家族も自立しているだろうから、好き勝手なことをやりやすいはずだ。これを機に、自分がもっとハッピーで、エンジョイできる生き方をして、最期を迎える時に、心から「楽しい人生だった」と言えるように過ごしてほしい。

 もちろん、何が自分にとってハッピーかは人それぞれだ。家族や会社に尽くすことが自分の喜び、満足につながる人もいるだろう。誰しも、何かしらの集団に属しているわけだから、その集団のために役立つことが、自らの存在意義となり、生きる希望になることも理解できる。そうした生き方が、自分が本当に望むものであれば、それを貫くのが一番だ。

 それでも僕は、家庭や仕事は、残りの人生でハッピーとエンジョイを実現するための“手段”であって、それらを“目的”にしてはダメだと思っている。“目的”はあくまで自分のハッピーであるべきだ。

 一般的には、残された時間で家族との思い出をつくるとか、家族が将来困らないように準備する、つまり、家族の幸せこそを“目的”にすべきと考える人の方が多いようだ。だけど、それで残された家族が本当に幸せなのだろうか。

 本当にやりたいことを我慢して、人生の残り時間を家族のために使う。もしかしたらそれは、家族を喜ばせるどころか、後悔や自責の念を抱かせるのではないだろうか。

 都合の良い考え方かもしれないけれど、それよりも、最後に好きなことを存分に楽しんだ姿を、家族や周りの人に見せた方が、遺された人は嬉しいのではないかと思う。