「リッツ・カールトンで学んだ、お客様にファンになってもらうために大事なことがあります」
そう語るのは、「ホスピタリティあふれる営業手法」が話題の福島靖さん。もともと口ベタで、学生時代は友達ゼロ、おまけに高卒。31歳でアメックスに法人営業として入社するも、当初は成績最下位でした。しかし営業になる前、6年勤めたリッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を営業でも実践したことで、多くのお客様から信頼を得て、わずか1年で紹介数・顧客満足度全国1位になりました。
その福島さんが「ガツガツしなくても信頼される人になる方法」をまとめたのが初の著書『記憶に残る人になる-トップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』です。お客様、取引先、社内の人…人と向き合うすべての仕事に役立つと話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、リッツ・カールトン時代の「あるエピソード」を紹介します。(構成/石井一穂)
リッツ・カールトンで聞いた「耳を疑う言葉」
営業になる前に勤めていたリッツ・カールトンで、ある経験をしました。
ある日の夕方、外国人男性がコンシェルジュ・デスクを訪ねてきて、おすすめのレストランを聞いていたときのことです。
リッツ・カールトンにはフレンチ、アメリカン・グリル、和食など、さまざまなレストランが入っています。
横で話を聞きながら「コンシェルジュはどのお店を紹介するのかな?」と考えていると、耳を疑う言葉を聞きました。
コンシェルジュが勧めたのは、なんと競合するホテルのレストランでした。
「え? いいのそれ?」
モヤモヤした僕は、お客様対応を終えたコンシェルジュに尋ねました。
「どうして競合ホテルのレストランなんて勧めたんですか?」
すると、少し考えた後で、彼はこう答えました。
「少し悩みましたが、その方がお客様にとってベストだと思ったんです」
翌日、そのお客様はまたコンシェルジュ・デスクを訪れ、仲良さげに話し込んでいました。
来日の際には必ずリッツ・カールトンに宿泊するのだとか。
他のホテルやレストランを勧められながらも、より、リッツ・カールトンのファンになっていたのです。
お客様に対してつねに「正直」であれ
営業を始めた頃の僕は、お客様の要望を聞いていて「お客様に合うのはD社の商品だな」と思ったとしても、契約のためにと、自社のメリットを強調して契約を得ていました。
でも、その契約書を持って会社に戻る道中、罪悪感でいっぱいでした。
そんなとき、先ほどのリッツ・カールトンでの経験を思い出した僕は、ある行動に出ました。
商談をしていて、またしても同じような状況に遭遇したときのことです。
お話を聞くかぎり、そのお客様にはS社の商品が絶対に合うと感じました。
そこで、お客様に正直に伝えました。
「僕はアメックスの人間ですし、当社の商品に興味を持っていただいたのに大変恐縮な提案ですが、田中様にはS社の商品が合うと思うんです」
するとお客様も「たしかに、私にはS社の商品が合っているみたいですね」と。
でも次の瞬間、お客様はこう言いました。
「でもやっぱり、福島さんと契約します」
どういうことか理解できず、思わず聞き返してしまいました。
「え? だってS社の商品がピッタリのはずですよね?」
すると、お客様は少しだけ考えてから、こう言いました。
「たしかにそうです。でも福島さんは、自分の契約にしようと思えばできたのに、私のためにS社を勧めてくれましたよね。だから、信頼できる人だと思ったんです」
お客様はいつも見ているのだと、実感しました。
提案の内容ではなく、提案している人自身のことを。
(本稿は、『記憶に残る人になるートップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』から一部抜粋した内容です。)
「福島靖事務所」代表。経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。高校時代は友人が一人もおらず、「俳優になる」ことを口実に18歳で逃げ出すように上京。居酒屋店員やバーテンダーなどフリーター生活を経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。同社が大切にするホスピタリティを体現し、6年間で約6000人のお客様に名前を尋ねられるほどの「記憶に残る接客術」を身につける。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。当初は営業成績最下位だったが、リッツ・カールトン時代に大切にしていた「記憶に残る」という在り方を実践したことで、1年で紹介数、顧客満足度、ともに全国1位に。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。38歳で株式会社OpenSky(プライベート・ジェット機の販売・運航業)に入社。40歳で独立し、個人事務所を設立。本書が初の著書となる。