【ビル・ゲイツ独占インタビュー】孫正義との絆を語る「1億ドルをポンと出してくれたマサの“粋な計らい”」Photo:JIJI

想像を絶するスピードとスケールで10兆円企業をつくりあげた経営者から学ぶべきことは多い。孫正義ソフトバンクグループ代表の評伝『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社文庫)の著者井上篤夫氏が孫氏を深く知る人物と対談し、ビジネスパーソンに学びをお届けする連載「ビジネス教養としての孫正義」の第20回。最終章の対談相手は、IT界の巨星ビル・ゲイツ氏。日本とアメリカでIT革命を牽引してきた2人のリーダーはどのように互いを支え合い、高め合ってきたのか。さらに、投資家としての孫氏をどう評価するのか。“投資の神様”ウォーレン・バフェットを引き合いに出して語ってもらった。(構成/ダイヤモンド・ライフ編集部 松本幸太朗)

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ビル・ゲイツが感激した孫正義の「粋な計らい」とは?

井上 前回のインタビューから30年以上がたちました。 まず、38年前の写真についての印象を聞かせてください。

【ビル・ゲイツ独占インタビュー】孫正義との絆を語る「1億ドルをポンと出してくれたマサの“粋な計らい”」ビル・ゲイツ氏(左)を取材する井上篤夫氏(右) Photo: Kazuhiro Inoue

ゲイツ あの頃は素晴らしかった。 ポール・アレンさんや西和彦さん、マサ(孫正義)といった素晴らしい人たちと仕事をする機会に恵まれたからです。

 当時の私たちはパーソナル・コンピューターと、それがもたらす魔法を信じる人間たちの小さなグループに過ぎませんでした。

 マイクロソフトにとって日本は重要な拠点の一つでした。NECのマシンをはじめ、OKI(沖電気工業)、富士通、三菱(電機)など、初期のパーソナル・コンピューターや主要なテクノロジーが数多くあったからです。 多くの創造に携わる機会に恵まれたことはマイクロソフトにとって幸運でした。

 当時、マサはソフトウェアの卸売りをしていましたが、それ以上に事業を発展させていきましたね。 振り返れば、とてもいい思い出です!

 マイクロソフトに関しては、来年50周年を迎えます。井上さんが見せてくれた写真は、私たちの歴史を語るうえで重要なものです。 

 マイクロソフトはオフィス街に拠点を持っていましたが、1986年の初めに、従業員を集めるために広大な土地を購入し、写真のキャンパスに引っ越したばかりでした。

 もちろん、当時の私はまだかなり若く、31歳。 1981年にIBM PCが登場し、私たちはWindowsでスタートを切りました。 私たちのビジョンが本当の意味で実現したのは1995年になってからでした。

 ですから、素晴らしい時代でした。 そして、ソフトウェアとコンピューティングの重要性を高めるというマイクロソフトのビジョンは、この時期にほぼ実現されたのです。