それが、「ロジカルシンキング」と「クリティカルシンキング」(図)である。

 これらのうち、ロジカルシンキングとは、文字どおり「論理的な思考」を意味する言葉で、直感や感覚的に物事をとらえるのではなく、矛盾が生じないよう筋道を立てて考えたり、データや先例など論拠(エビデンス)を示したりしながら、自分の意見に説得力を持たせる手法である。

 一方、クリティカルシンキングは、物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解する方法を指す。

 言うなれば、前提となっている考え方や慣習として継承されてきたことなどに対し、「本当にそうだろうか?」と考えてみるということである。

 どちらも、筆者のように、マスメディアで報道に関わり、大学で研究もしてきた者にとっては必須とされる思考法だが、ジャーナリストや研究者に限らず、今やどんな職種にも求められるスキルとなっている。

 研究機関であると同時に社会への窓口でもある大学側は、これらの能力を、筆記試験や面接、あるいはグループディスカッションなどを通じてチェックしているのだ。

 これまでの日本の社会は、ハイコンテクスト社会、すなわち、「コンテクスト」(Context=コミュニケーションのベースになる価値観や言語、文化)の共有度が高かったため、特段、伝える努力をしなくても意思の疎通が可能であった。話が論理的でなくても、相手の意を汲んだり、口調や表情から忖度したりすることでコミュニケーションが成立してきた。

 ところが、「Z世代」と呼ばれ、デジタルネイティブで、組織よりも「個」や「自分の共感」を大事にする若者世代が台頭し、減少する労働力を異文化の外国人に頼らざるを得ない時代になると、「意を汲む」や「忖度する」では通用しなくなる。

 また、「過去の常識は非常識」と言われるほど、変化が激しい現代社会においては、これまでセオリーとされてきたものであっても、疑ってかかる姿勢が不可欠になってくる。