働き始めてから、大学のキャリア支援を思い出す

 首藤教授は立教大学のキャリアセンター部長を務めている。その立教大学は、首都圏で最も早く、「就職部」を「キャリアセンター」の名称に切り替え、現在は、“キャリアの立教”として、全学生を対象に、さまざまなキャリア支援(*1)のプログラムを実施している。

*1 詳しくは、立教のキャリア・就職支援を参照(立教大学Webサイトより)

首藤 就職はゴールではありません。社会人としてのキャリアの出発点であり、生き生きと自分らしい人生を歩むことが最も重要です。

 本学は「専門性に立つ教養人」の育成を教育理念に掲げています。なかでもキャリア教育では、「将来、あなたは、どう生きていきたいのか?」を学生に問い、その実現に向けて、大学生活で何を学び修得したいのかを考えるように促しています。私たちは就職という“点”を重視するのではなく、その先のキャリアを見通した“線”でサポートしたいと考えています。キャリアを考える一助として、たとえば、「RIKKYO卒業生訪問会(*2)」という、いわゆるOBOG訪問を学内で行うプログラムを年に5、6回開催しています。毎回20人くらいの先輩が協力してくれて、昨年度(2023年度)は、年間でのべ3500名ほどの学生が参加しました。

*2 詳しくは、“キャリアの立教”の名物プログラム!『RIKKYO卒業生訪問会』を開催を参照(立教大学Webサイトより)

 立教大学では、たとえ、学生に対するキャリア支援の効果が学生時代にそれほど実感できなくても、社会に出てから発揮されることが多く、卒業生からそうした声が届いているという。

首藤 大学(キャリアセンター)が、「将来にわたるキャリアを……」と伝えても、学生たちの多くは目先の就職活動に必死になっていることは確かです。それでも、メッセージを繰り返し発信し続けることが大切で、私たちの活動が、社会人になった学生のキャリアの指針となればうれしいですね。実際、卒業生にアンケートを取ると、本学の教育理念やキャリア支援に対する考え方の良さを、社会に出て、働き始めてから気づいたという声が多くあります。

 労働経済学を専門とし、労使関係や女性労働などを研究している首藤教授――教授自身は、仕事の選択やキャリアの設計についてどのような考えを持っているのだろうか。

首藤 多くの人は、人生の圧倒的多くの時間を仕事に割きます。「キャリア」とは仕事の履歴を指しますが、それは、自分はどう生きるのかとも重なる面があります。

 労働には二面性があります。一つは、仕事が自己実現や自己表現につながったり、自分を成長させるきっかけになったり、生きがいにつながる面と、もう一つは、近代経済学の祖であるアダム・スミスが仕事は苦役であると捉えたように、仕事の大変さや苦しい面です。

 キャリアを考えるうえで重要なのは、この両面のバランスをとることです。生きがいややりがいだけを重視していると「やりがい搾取」に陥りかねません。逆に、「仕事は辛くて嫌なもの」とだけ考えると、やりがいや自己の成長が感じられなくなってしまいます。

 仕事には二面性があって、そのバランスをとることが重要――近年は、長時間労働の抑制やワークライフバランスが重視される傾向にあり、それは、日本の労働社会にとって自然な流れではあるものの、昨今は、仕事のやりがいや成長実感が乏しい「ゆるホワイト企業」の存在も指摘されてきている。

 バランスをとるうえで、ポイントになることは何か。

首藤 仕事においては、辛くても頑張らなければならないときがあります。しかし、そのためにすべて犠牲にしなくてはいけないというのも違います。とくに女性であれば、子どもを産むか、仕事を続けるか、出産のタイミングをどうするか、といった選択に直面することは珍しくありません。ただ、いまの時代、仕事と家庭の両方を得ようと、両立を目指す女性も増えています。企業は、両立支援策の拡充を図るとともに、両立させながらもキャリアを築けるように取り組んでほしいと思います。

 また、学生には、主体的にキャリアを築いていくことの大切さを伝えています。ただ難しいのは、自らは主体的に選んでいると思っていても、社会的な制度や枠組み、経済状況のなかで選ばされている場合もあります。そこも含めて自覚的であるべきだと考えています。

 私自身は、もともと、研究者になりたいと思って大学院まで進み、学術研究の世界でキャリアを積み重ねてきたのですが、学生当時は就職氷河期でした。もし、就職氷河期が数年ずれていたら、一般企業に就職することを選んでいたかもしれません。このように私たちの選択は、時の情勢に左右されがちです。主体的にキャリアを築くとは、自分の選択が、どのような制約のなかでなされているかを知り、そして、時には、多くの人が望むキャリアを歩めるように、社会制度や枠組みを見直すよう働きかけていくことでもあります。