天才詐欺師「ミスターT」が手を染めた、日米関係史上もっともカラフルな犯罪とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

戦後混乱期のニッポンに、天才的な七変化ぶりの“ガイジン詐欺師”がいたことをご存知だろうか。車販売で儲けると、タクシー事業でビジネス・パートナーをだまして大金を持ち逃げ。その後、六本木でニセ医者「ドクターT」、代々木で英語学校の校長「プロフェッサーT」と名乗り、巧妙な話術で人を欺き続けたという。荒唐無稽で豪快な「ミスターT」伝説に刮目されたし。本稿は、ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳『新東京アウトサイダーズ』(角川新書)の一部を抜粋・編集したものです。

詐欺師デビューした「ミスターT」
まずは「粗悪な日本車」で大儲け

 数々の天才ガイジン詐欺師の中でも、ひときわ異彩を放つ、大胆不敵な男がいた。当時はあまり知られていなかった元米空軍司令官で、ここでは法的な理由から、「ミスターT」と呼ぶことにしよう。

 ミスターTは、立川基地で20年間軍務に就いた後、1970年代初めに除隊された。しかし大好きな日本を離れたくない。女性は魅力的だし、国民は親切で純朴だ。そこで日本に残って、運試しをすることにした。

 身長は186センチと長身。40代前半だが、髪はすでにかなり白い。骨ばった品のいい容貌は、どことなくキツネを連想させる。巧妙な話術という才能に恵まれていたから、ごく自然に、セールスの世界へと足を踏み入れた。

 整備士のパートナーと組んで、対米輸出向けの日本車(トヨタ、日産、マツダ)を横流しする、ヴェンチャー・ビジネスを始めた。日本で製造されたが、窓やハンドルなどの軽い不具合のせいで、検査に不合格になった商品を、格安で売りさばく商売である。

 パートナーが、できるだけ車を修復し、ミスターTが、米軍のアメリカ人に“新車”として売りさばき、2人でがっぽり儲けた。苦情が出れば、ミスターTは手を振って、こうあしらった。

「おいおい、これは日本車だぜ。どんな車を期待しているんだ?リンカーンやフォードが欲しければ帰国するまで待つんだな」

 言うまでもなく、まだアメリカ人の大半が、「アメリカ車は世界一」と信じている時代だったのだ。そんな時代はまもなく終焉を迎えるが、無知なGIたちは、急成長を遂げている日本車の高性能ぶりに、まったく気づいていなかった。

 あまりにも商売がうまくいったので、2人はグアムにも進出した。アガナ基地から、中古のタクシーを大量に仕入れ、グアムで民間のタクシー会社を始めたのだ。パートナーは立川に残り、ミスターTだけが、グアムに行って業務にあたった。

姿を消したミスターTが数年後
「ドクターT」として日本のCMに登場

 パートナーにとっては、これがそもそもの失敗だった。

 ミスターTはタクシーを担保に、アガナ空軍基地の〈チェース・マンハッタン銀行〉から、たっぷりと融資を受け、タクシーを売り払い、大金を懐に、銀行ローンを放置して、さっさとアメリカに帰国。