ニュースで見聞きした国、オリンピックやW杯の出場国、ガイドブックで目にとまった国――名前だけは知っていても「どんな国なのか?」とイメージすることは意外と難しい。そういった中で「世界の国々をざっと理解できる」「聞いたことがない国でもイメージが広がる」と支持されている本がある。『読むだけで世界地図が頭に入る本』(井田仁康・編著)だ。
本書は世界地図を約30の地域に分け、地図を眺めながら世界212の国と地域を俯瞰する。各地域の特徴や国どうしの関係をコンパクトに学べて、世界の重要問題をスッキリ理解することができる1冊だ。今回は本書の編著者である地理の専門家・井田仁康氏に「地理を学ぶ面白さ」について詳しく話を聞いた。
1958年生まれ。筑波大学名誉教授。博士(理学)。日本地理学会会長。日本社会科教育学会長、日本地理教育学会長などを歴任。筑波大学第一学群自然学類卒。筑波大学大学院地球科学研究科単位取得退学。著書に『ラブリーニュージーランド』(二宮書店)、『社会科教育と地域』(NSK)などがある。
異文化への理解が深まる地理の学び
──井田先生は、長年にわたって地理教育にたずさわっていらっしゃいますが、地理を学ぶ面白さはどんなところにあると考えていますか?
井田仁康(以下、井田):地理と聞くと「地形」や「気候」という言葉をまず連想する人も多いと思いますが、このような自然現象にかかわって人を知ることが地理の一番の面白さだと私は思っています。
地理は、日本を含め、世界のいろんな国の特徴を学べる科目ですが、地理を学ぶ過程でその国に住んでいる人々の様子がだんだん理解できるようになります。
たとえば、地理を学ぶうえで「自然災害」は1つの大きな観点としてあげられます。
日本人が自然災害という言葉を聞くと、ほとんどの人がまず地震や津波、大雨による洪水などをイメージするのではないでしょうか。
一方、現在のヨーロッパやアメリカで自然災害と言えば、山火事が特に大きな問題になっています。これは、主に乾燥や熱波が原因で発生していると考えられています。
他にも、たとえばシンガポールは自然災害の少ない国ですが、デング熱(蚊を媒介とするウイルスの感染症)の流行が社会的な問題になっています。熱帯地域や亜熱帯地域で発生している問題です。
こんなふうに自然災害と一言で言っても、住む場所によって状況は異なります。当たり前のことですが、国が異なれば異なる自然災害が発生し、人々は異なる社会問題に対処しながら生活をしています。
1つの場所に住んでいると、その他の国の生活をイメージすることは難しいですし、知ろうと思うきっかけも少ないかもしれません。
地理を学ぶと、自分と異なる場所に住む人々の暮らしに興味が湧いてくると思います。
海外と比較してわかる日本の食文化の特徴
──私たちの生活は、住んでいる場所の地理的な特性から大きな影響を受けているんですね。
井田:たとえば、食文化について考えてみましょうか。
日本は海に囲まれた島国ですので、魚や海産物が食文化に根付いていますよね。また、雨が比較的豊富で農業がしやすい土地ですので、よく野菜を食べます。寒い地域では野菜の漬物といった保存食が親しまれてきました。魚や野菜を中心とした食文化が発展してきた国だと思います。
対照的に乾燥している国に目を向けると、野菜をあまり栽培できないので、肉食中心の食文化が見られます。
たとえば、中央アジアの内陸国カザフスタンはほとんど乾燥地帯ですから、野菜は手に入りづらいんですね。そうなるとやっぱり肉料理が食生活の中心になります。羊肉や牛肉、ラクダの肉を食べることもあります。
私がカザフスタンに行ったときには、朝から煮込みの肉料理が出てきて、そして昼も夜も肉料理……。慣れない日本人にとっては胃がもたれ、かなりこたえた思い出があります。
──肉をたくさん食べることが、カザフスタンで住む人にとっての日常なんですね。
井田:そうですね。ちなみにカザフスタンの隣にウズベキスタンがありますよね。
ウズベキスタンは河川の灌漑を利用して畑を作っていて、カザフスタンに比べると野菜を多く収穫できるんです。ですので、食べ物は結構異なります。
──隣の国でも、結構違うんですね。
井田:そうなんです。あまり意識しないかもしれませんが、たとえば同じ日本国内であっても、地域によって食文化は異なります。
もちろん、現代の日本では流通網が整備されているので、全国的に同じようなものを食べるようになってきていると思いますが、地域の独自の食文化は残っています。
日本国内で言うと、昆虫食の食文化が根付いている地域があることはご存じでしょうか。長野県や山形県の内陸部では色々な種類の昆虫が食べられています。
このような地域で昆虫食が根付いた要因の1つとして、海と接していない地域の人々がタンパク質を効率よく摂取するために、昆虫食が発展してきたと考えられます。
以前、授業の中で昆虫食の話題を出した時に、多くの学生たちが昆虫を食べることに驚くような反応をしていたのですが、長野県出身の学生は「なんでそんなに不思議がるの」という反応でした。
場所が違えば、人々の暮らしや価値観が違うことは当たり前のことです。日本国内でもそうなのですから、国外に出てみれば、さらに違いは大きくなるでしょう。
多文化が共存するニュージーランド
井田:ニュージーランドで、現地の高校生に授業を行ったことがあります。
日本の学校では、オーストラリアとニュージーランドは、同じオセアニア地域として教えているという話をしたら、「オーストラリアとは全然違う国なのに、なんで一緒に教えるの」と言われました。
ニュージーランドの高校生がそう言うのも当然ですよね。世界的に見れば、ニュージーランドとオーストラリアは近い国かもしれませんが、私たちが暮らしている日本にも近隣の国々とは異なる文化や暮らしがあるように、2つの国はまったく違う国ですし、まったく異なる文化があります。
ですので、世界地図を広げてひとつひとつの国を細かく見ていくと、それぞれの国の文化や暮らしがとても興味深く見えてくるんです。
私の研究者としての本来のフィールドはオセアニアで、特にニュージーランドが専門なのですが、ニュージーランドについて私が1つとても興味深い国だなと感じる点は、先住民と移民の関係性です。
ニュージーランドの住民は、主に先住民であるマオリと、後にヨーロッパから移住してきた人たちで構成されているのですが、彼らの共存がかなり上手くいっている国だと思います。
たとえば、ニュージーランドでは英語だけでなくマオリ語も公用語なんですね。そうすると、国歌もマオリ語バージョンと英語バージョンがあって、それをみんなちゃんと覚えるんですよね。
ニュージーランドの最高峰にマウントクックという山があります。マウントクックは英語の名前ですけれども、「アオラキ」というマオリ語の名前があって、両方の名前が地図や看板に併記されています。英語とマオリ語の2つの名前がこの山の正式名称なんです。
他にも、たとえばラグビーのナショナルチーム「オールブラックス」が、試合前にハカを踊るのはよく知られていますよね。ハカはもともとマオリの踊りです。国の代表選手が、国際試合で、世界中の人が見ている中でハカを踊るということは、選手たちの中にマオリを代表しているという意識があるからではないでしょうか。
──どうしてニュージーランドでは、先住民と移民の共存が上手くいっているのでしょうか?
井田:世界を見渡すと、先住民と移民との軋轢で、社会問題が生じている国はたくさんあります。
たとえば、オーストラリアは先住民であるアボリジナルピープルに対する優遇政策をとっていますが、なかなか上手くはいっていません。優遇政策によって、かえって先住民が働く意欲をなくしてしまい、アルコール中毒や薬物中毒といった問題が生じています。カナダでも類似するような問題が起きています。
ニュージーランドで先住民と移民が上手く共存できていることには、いろいろな理由があると思いますが、先住民の人口の割合がとても多いというのが1つの大きな理由だと考えられます。
ニュージーランドの人口の割合を見ると、ヨーロッパ系の住民が7割程度、マオリは15%程度を占めています。
先ほど例にあげたアボリジナルピープルの人口は、オーストラリア全体の人口のほんの数パーセントなので、マオリの割合がいかに大きいかということがわかると思います。
ちなみに私がニュージーランドの現地で強く感じたことは、ニュージーランド人の「垣根がない、フレンドリーな国民性」です。
私のような異国の人が道に迷っていると、すぐ横に人が来てくれてさっと助けてくれるんです。押し付けがましく何かを言ってくるわけではなく、「ああ、困ったな」と思っていると、自然と手を差し伸べてくれます。
私にとってはものすごくありがたいことですが、現地の人を見ているとそれが全然特別なことじゃなくて、ごく普通の自然なことなんです。
──ひょっとすると、多文化の共存がそのような国民性につながっているのかもしれませんね。
井田:そうかもしれません。色々と話が脱線してしまいましたが、地理の面白さは、自然現象の観察を通じて、自分とは異なる場所で暮らす人々の生活を知り、もっと理解したいという気持ちが湧いてくることだと思います。
自分が住んでいる場所とは別の場所に目を向ければ、実にさまざまな価値観で暮らす人がいることを感じられます。世界を今よりも少し深く見てみたいと思ったときに、地理の知識が役立つのではないでしょうか。もし世界を旅する機会がある人であれば、現地で得られる発見や感動がきっと何倍にも大きくなると思います。