心と身体を習慣という名の「型」に落とし込み、日々鍛錬することで、実戦という人生を充実したものにできるということです。

 習慣がフォーマット化されていれば「面倒くさいな」「今日はやめとくか」といった発想が浮かばなくなります。なぜなら日常に「型」として取り込まれているため、頭で考えなくてもそれが既に快適なルーティンとなっているからです。

 現代経営学の生みの親であるP・ドラッカーは、「ルーティン化とは熟練していなくて判断力のない人でも天才を必要とする仕事を処理できるようにすることである」と言っています。その域にまで習慣を身に染み込ませることがまず1つ、そして自身の限界を勝手に決めつけないということが2つ目です。「どうせ年なのだから」という発想は今日を境にどこかへ捨て去りましょう。

 50歳ともなれば「最近、物忘れが激しくてねえ」などと、冗談とも本気ともつかぬフレーズがつい口を衝いて出てしまうものです。

 しかし、人の記憶の低下は必ずしも加齢と比例するものではなく、物忘れと年齢の間には相関がないという専門家もいます。毎年開催されている英国発祥のメモリースポーツの国際大会である「世界記憶力選手権」では、例年多くの40代から50代の方が、若い世代を抑えて入賞者に名を連ねています。

 実際、昭和世代の人たちは、暗記という行為を日々の暮らしの中で今以上に行なっていました。昔は携帯電話などなかったですし、学校の友だちの電話番号もほとんど暗記したものです。

 市内局番の下4桁を、無意識のうちに友だちの顔や性格などと結びつけ、これをセットで記憶するという作業を、小学生くらいの頃から皆が自然にしていたのです。

「今はもう、年だからできないよ」というのは誤りで、できないのはやらないからです。暗記することが当時ほど当たり前のことではなくなり、やろうとする習慣と意欲が失せたから覚えられないのです。