春風亭昇太師匠と大谷翔平選手の「偶然」の例

 偶然がキャリアに与えた影響について、3つの実例をあげながら考えていきます。

 1つ目は、大学時代の偶然が、生涯のキャリアを決定づけた例、2つ目は、目指すキャリアを計画的に進めていくなかで、大きなターニングポイントとなる出会いがあった例、3つ目は、定年後も好奇心を持ち続けたなかでの偶然が、70歳以降のセカンドキャリアにつながった例です。

 1つ目は、落語家の春風亭昇太師匠の例です。たまたま、私が聴きに行った落語会で、師匠自らが話していた内容です。日本テレビ系のテレビ番組「笑点」司会でおなじみの昇太師匠ですが、何と、大学に入るまで、落語自体を聴いたことがなかったようです。

 ラテンが好きで、大学入学時は、ラテンアメリカ研究サークルに入る予定で、部室を訪れたところ、誰もいない。たまたま、隣が落語研究会の部室で、部員から「ラテンアメリカ研究サークルの部員が戻るまで、こちらで待っていたらどうですか?」と声をかけられ、落語研究会の部室に通されたそうです。待っている間、落語研究会の先輩たちが、乗りよく、楽しげに話をしていて、「ラテン性」を感じ、「楽しそうだから、ここでいいか」と思い、入部したという話でした。

 こうした偶然のきっかけで足を踏み入れた落語の世界でしたが、師匠は企業に就職することなく、落語家の道に進み、いまや、国民的長寿番組「笑点」の司会者です。

「偶然」って、(いい意味で)恐ろしいですね。

 “5つの姿勢”に照らしてみると、まったく考えていなかった分野だけど、楽しそうだからやってみようという点で「好奇心」「柔軟性」「楽観性」「冒険心」を感じます。落語を始めてからずっと継続している点では「持続性」も満たしており、すべてにあてはまりますね。

 2つ目は、米国メジャーリーガーの大谷翔平選手の例です。父親も兄も野球にかかわっていたので、その影響もあって野球を始め、計画的にステップアップして現在に至っています。

 もし、大谷選手が、北海道日本ハムファイターズに入らずに、米国メジャーリーグにいきなり進んでいたら、現在のようなスーパースターとなっていたでしょうか?

 当初、入団を拒否していた大谷選手を、栗山英樹監督(当時)と球団が、熱心かつ論理的に、まずは日本で打者と投手の二刀流にチャレンジし、成功を遂げてからメジャーリーグに行くように説得しました。その結果、大谷選手も方針を転換し、日本ハムファイターズに入団し、日本で大活躍した後で渡米しました。もし、当時の監督が栗山監督ではなかったら、メジャーリーグに直接進み、投手だけ、あるいは、打者だけに専念した可能性も高く、いまのように、双方で大成功を収めるには至らなかったかもしれません。

 大谷翔平選手のように、計画的にキャリアを形成してきた場合であっても、キャリアの大きな転機となるタイミングで、偶然が大きく左右したといえます。

 “5つの姿勢”をすべて持ち合わせていますが、自らの計画(日本のプロ野球を経由せずにメジャーリーグに行く)に固執することなく、合理的に判断して提案を受け入れた点で、「柔軟性」がキーとなったと、私には感じられます。