人に教えたり学び直したりして
心地よい居場所を見つける

 これらを切り口に、誰かに「教える、伝える」ことはできないでしょうか。例えば卓球や水泳などのスポーツ経験があれば、友人に教えることができるかもしれません。

 私が取材した中では、子どもの頃から物作りが好きだった人が、放課後に小学生を対象にした工作教室を開いたり、便利屋さんとして高齢者の椅子や犬小屋を作るといったニーズに応えている人もいました。また小学生に対して、過去のPTAの仲間と一緒に絵本の読み聞かせの活動をしている夫婦も。

 このように誰かに教える、誰かのために何かをする行為は、相手の反応がありますから幸せも感じやすいでしょう。

 教える立場が難しければ、学んだっていいのです。本格的なプロに弟子入りしてもいいですし、大学や大学院で学び直すのもいいでしょう。私は50歳を過ぎてから会社員の傍ら、社会人大学院に通いましたが、異業種の人との付き合いに刺激を受けました。高校教師もいましたし、腕一本で土建業をやってきた60代の男性社長もいました。彼は「この学校に来て、初めてサラリーマンを見たよ」なんて話していました。

 最近は高齢者が学ぶシニア大学も全国にあって盛況です。これは学校教育法に基づく大学ではなく、地方自治体などが運営する高齢者教室のことです。私は講演に呼ばれる機会が多いのですが、生徒のみなさんは元気で、とても仲良しです。学びは年を重ねても取り組みやすく、周囲の人とも親しくなりやすいもの。なかにはクラブ活動があって、陶芸や落語会鑑賞などの好きなことに取り組む人もいます。

 また同世代ばかりでなく、若い世代と交流を持てるとなおいいですね。世代が違えば、考え方や感じ方が異なり、世界が広がります。刺激を得ることができるのです。それではどうやって若い人と交流するのか。ここでもやはり、自分が過去に得意だったことが活きてきます。

 これまでインタビューした人の中では、子どもの頃に将棋が好きだった人が将棋教室に通い始めて、「子ども相手に指すことが楽しい」と話す人がいました。会社で偉い立場になって退職すると、誰も叱ってくれず、皆が優しい。けれども将棋教室に行くと、子どもたちは容赦しないから、コテンパンにやられてしまう。それが自分の居場所としても心地良いと言うんですね。

 ほかにも、かつて活動したボーイスカウトに加入して指導者になっている人もいます。登下校の見守り活動として、横断歩道で旗振り誘導をしている知人もいました。また高齢者のグループに、若い人を招き入れることを検討してもいいでしょう。

若い人と触れ合うことで
元気をもらえる

 高齢になると多くの人が、「小さい子どもがかわいくて仕方ない」と言います。正直なところ、私も以前はそれほど子どもが好きではありませんでしたが、今は無性にかわいいと思うことがあります。

 個人的な解釈ですが、高齢者も幼い子もどちらも「あちら(生まれる前、死後)の世界」に近いという共通項がある。しかし、向いている方向は違う。子どもは将来を、老人は死後を見ています。同じような場所にいて、違う方向を向いているという同工異曲こそが、見た目は異なっても響き合うものがあるのではないかと感じています。

 先日も電車で幼児が座っていて、80代くらいの老夫婦が「触ってもいいですか」と親御さんに尋ねてから、握手をしていました。そして「あったかい」とほほ笑んでいる。車内にいた周囲の乗客もほほ笑んでいました。

 年を取って、孤立感にさいなまれる人が、若い人と触れ合うことで元気をもらえる側面があるのかもしれません。加えて、若い人と付き合っている人は「いい顔」になる傾向があると取材で感じています。