石原裕次郎の奥多摩いじりから
松田優作と宿がつながった?

 日本映画史において強烈な光を放ち、ファンだけでなく多くの役者から今もリスペクトされる松田優作。

「人間の証明」(昭和52年)、「蘇える金狼」(同54年)、「野獣死すべし」(同55年)、「探偵物語」「家族ゲーム」(ともに同58年)、「それから」(同60年)などアクションから文芸作品まで幅広い役をこなす当代一のスターが、なぜ、東京の奥まった温泉宿に来るようになったのだろうか。

 その疑問を女将にぶつけると、意外な答えが返ってきた。

「中学生の頃から優作さんのファンでした。高校生になってからは友達と、日活の撮影所のフェスティバルに必ず行って、優作さんには7~8回はお会いしました。でも、本人を目の前にすると緊張して、何を話したか覚えていませんが(笑)、たぶん『いつも観ているから頑張ってください』と言ったように思います。一度だけ、優作さんが上着を着せてくれたことがありました。ぶっかぶかで暖かかったことを覚えています」

 女将が高校3年生の夏休み、最後に撮影所を訪ねた時のことだ。

「『太陽にほえろ!』の撮影中でしたので、石原裕次郎さんや神田正輝さんにも会えました。裕次郎さんから、『どこから来たの』と聞かれたので『奥多摩』と答えると、『あんな所から来たの』と話題が広がり、うちが旅館をやっている話になりまして、『奥多摩なら、いい宿なんだろうな』と、裕次郎さんが言ってくださったんです。優作さんは、その会話に途中から入ってきましたので、どこから聞いていたかはわからないんですが……」

 その後、女将は高校を卒業し、撮影所に行くこともなくなった。