パリ五輪開会式の演出で
日本と海外の異なる評価

 駐日フランス大使館は12日、公式X(旧ツイッター)に「フランスと日本のアスリートたちにとって素晴らしい活躍の場となりました!20個の金メダルを獲得した日本と、16個の金メダルを獲得したフランスで、これらのオリンピックに忘れられない印象を刻みました。おめでとうございます!」と載せた。

 だが、この投稿に対し「オリンピックを通じてフランスのいい加減さと白人の差別主義についてよく理解することができた」「もう二度と立候補するなよ」「ひどい大会でしたね。フランス嫌いが周りで増えてます」といった罵詈(ばり)雑言が寄せられた。

 パリ五輪に対する日本人の批判は、リベラルな価値観に基づいた開会式の演出から始まった。聖火最終ランナーと国歌を歌った女性歌手の両者が、カリブ海のグアドループ島出身の黒人だったことは、保守派の日本人には移民の脅威と映ったようだ。

 女装したダンサーらがレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐(ばんさん)」に似た構図で登場したことと、ギロチンで落とされたマリー・アントワネットの首が歌う趣向も、批判された。

 日本では、後者への批判が強かったのだが、これは日本の特殊現象で、好き嫌いは別として国際的にはとくに批判されていない。日本では漫画『ベルサイユのばら』に影響されてなのか、マリー・アントワネットがギロチンにかけられたことを冤罪(えんざい)と勘違いしている人が多い。

 また、日本では保守派を中心に「フランス革命は共産主義の原点であり、なかった方が良かった」といった、世界史の常識を否定する極端な歴史観がまん延している。

 日本が近代国家を目指した幕末は、フランス革命の成果が各国で確立した時期で、幕府も薩長もナポレオンを理想に国づくりを目指した。明治体制はその果実である(ドイツのビスマルク体制もフランス型の国家にドイツを改造したものだ)。にもかかわらず、21世紀の日本において、19世紀前半には肯定的な歴史評価が確立したフランス革命への否定論が突然、力を増しているのは誠に奇妙な現象だ。

 それに、世界標準と比べると、日本は暴力場面を映すことには甘い半面、死体などには厳しい。海外では報道で死体などを平気で映しており、日本とは感覚が違うのだ。

「最後の晩餐」を想起させる演出については、保守的なキリスト教徒が不快感を示し、ローマ教皇庁は「キリスト教徒やほかの宗教の信者に不快な思いをさせたことを悲しむ声に同調せざるを得ない」とした。

 だが、それに先立つフランス司教会の見解は、「開会式が”美と喜び、豊かな感情を提供し、広く称賛された」と全般的には深い共感と高い評価をした上で、「残念ながらキリスト教を嘲笑する場面があり、深く遺憾に思う」というもので、さほど深刻な異議ではない。

 フランスでは宗教を風刺したり批判したりすることは、信教の自由において不可欠と考えられている。また、欧州では、LGBTQへの取り組みに教会が後ろ向きなことに対して、ほとんどの政治勢力は批判的だ。そのため、教会が遺憾に思ったところで、それほど多くの共感は持たれない。

 実際、パリ五輪組織委員会が市民に行ったアンケート結果によれば、開会式に対するフランス人の評価は、86%が成功だったと見なしている。また、IOC(国際オリンピック委員会)が世界の15地域を対象にした調査でも、76%が「史上最も印象に残った開会式だった」としているのだから、批判しているのは超少数派だ。