尾身茂氏に聞く、東京五輪・無観客開催の舞台裏…「尾身会長は政治家だ」批判に何を思った?Photo:Diamond

新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長を約3年半にわたり務めた尾身茂氏が、今年9月に会長職を退任。専門家チームのトップとしてパンデミックと戦った日々を振り返る『1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録』(日経BP社)を出版した。社会全体が暗中模索の航路を進んできたコロナ禍にあって数多くのメッセージを発信してきた同氏は、緊急事態宣言、東京オリンピック開催、GoToキャンペーンといった幾多の判断の裏で、どんな葛藤を抱いてきたのだろうか。(聞き手/ライター 正木伸城)

3年半の間に100回以上、専門家として政府に提言をしてきた

――コロナ禍に日本中が巻き込まれた2020~2021年ごろ、新型コロナウイルス対策について話す尾身さんの姿をテレビやニュースで見ない週はありませんでした。政府の委員、さらに分科会の長としてパンデミックに取り組むというのはどういうことなのか、具体的には何をやっているのか、おそらくほとんどの国民はよく分かっていなかったと思うのですが、『1100日間の葛藤』を読むと、“専門家として、政府に提言すること”が仕事の中心だったのですね。

尾身:我々専門家は折々の状況を緻密に分析し、どんな対策を取ればいいか、どうすれば感染リスクを下げられるかなどを、これまで100回以上政府に提言してきました。その多くは国に採用され、人々の生活や仕事などに直接・間接の影響をもたらしました。

 提言を出す際に配慮したのは主に二つ、(1)科学的合理性があり、(2)人々に納得してもらえる内容にすること――です。私たちはその都度その都度、懸命にそれらを追求してきました。最善を尽くしてきたつもりです。

 しかし、それは私たちの主観です。その本当の評価は、第三者が見て、または歴史の審判にさらされて初めて定まるものでしょう。100を超える提言それぞれの根拠は何か。ソースとなるデータは何か。提言を出す上でどんな困難があったのか。それらをなるべく客観的に、公表された資料をもとに記録として残しておくことが歴史の検証に必要だと思いました。将来必ず来る「次のパンデミック」にその検証が生かされることを願って、今回、本を出しました。

――「提言を出す上での困難」と聞くと、政府と尾身さんの丁々発止のやりとりを連想します。本の中に、「ルビコン川を渡る」という表現が出てきますね。

尾身:分科会や専門家会議で出した提言と政府の方向性が重なっている時はいいのですが、時に我々専門家は、政府に異を唱えなければならない局面に出合います。仮に政府から煙たがられる可能性があったとしても、言うべきことを言わなければならない時がありました。それを「ルビコン川を渡る」と表現しました。

 専門家は政府の代弁者ではありません。もちろん政府を批判したり擁護したりするのが目的ではなく、政府とは連携しながらも独立性も求められる。「このことには言及しないでくれ」と政府が思っているようなことであっても、本当に言及すべきことには言及する。例えば東京五輪の時なんかがそうでした。