パリで開催されているオリンピックでは、7月26日に催された開会式が大変な物議を醸していて、スポンサーが撤退するまでの事態に発展している。東京五輪が引き合いに出されて批評されてもいる。何がいけなかったのか。そして、この騒動をいったいどう考えるべきか。(フリーライター 武藤弘樹)
目下炎上中のパリ五輪開会式
当初は好意的な声が多かったのになぜ?
当初国内では賛否両論せめぎ合っていたが、“否”の方が徐々に優勢になってきたように見えるパリ五輪の開会式。ざっくりとした印象では「マスコミが“賛”、SNSが“否”」で、SNSが勢いを伸ばしたのであった。
とにかくパリ五輪では開会式が話題になり、つられて「東京五輪の開会式」までもがXでトレンド入りした。「直近の五輪開会式」として、または「よくなかった開会式」として、パリと東京がこのタイミングで何かと比べられているわけである。
オリンピックといえば言うまでもなくスポーツの祭典であり、メインはスポーツの方にあるはずなのに、そこに付随しているセレモニーの方で大きく足を引っ張って大会全体にケチがついてしまうのは残念なことである。
開催都市および開催国が、数十年、あるいは百年に一度に訪れるその機会を「自分たちの手で素晴らしいものにしよう」「自国のアピールの場にしよう」「このチャンスに国ごと発展してしまおう」と様々な思惑を胸に、激しく躍起になる道理はよくわかるものの、その意気込みが如実に反映される開会式において、外し方の度が想定の範囲および許容範囲をはるかに超えてしまえば、多くの人が「もうちょっとどうにかならなかったのか」と感じてしまうのは無理からぬことである。