史上最高だった
パリ五輪

 銅メダルに不良品が多かったのは名誉なことでないが、再生材料を使う難しさがあったのだろう。ちなみに、東京五輪でも中国選手からクレームがあったし、リオ五輪では数百個の交換を行っている。

 審判がフランス有利だったかどうかは、個別ケースで見ると、水掛け論になるので、開催地として常識に反した好成績だったかどうかをみればいい。

 ここ10回の夏季五輪の開催国について、自国開催とその前の開催での金メダル獲得数を比べると以下の通りだ(数値は左が自国開催の前の回、右が自国開催での金メダル獲得数)。

ソウル(韓国):6→12
バルセロナ(スペイン):1→13
アトランタ(米国):37→44
アテネ(ギリシャ):4→6
北京(中国):32→48
ロンドン(英国):19→29
リオ(ブラジル):3→7
東京(日本):12→27
パリ(フランス):10→18

 つまり、サラマンチIOC元会長の地元でいろいろな無理をしたと批判されたバルセロナを別にすると、日本が最も地の利を生かした結果となっている。これは冬季五輪でも同じで、札幌:0→1、長野:1→5だ。

 地元が好成績を挙げるのは、国や地元での強化策、種目選定、使用会場での事前の練習や情報漏えい、やや身びいきな判定、観衆の声援、気候に慣れているかどうかなど、いろいろな要素があって、フランスもある程度は地の利を生かした。だが、常識の範囲内であって、極端な形で「地元だからこそ」の金メダルとっている日本が、フランスを批判できるとは思えない。

 また、柔道については、別の問題もある。国際的な大会での判定基準が議論を重ねながら刻々と変化しているにもかかわらず、それに精通していない人が「昔ならこっちの勝ちだった」というようなことをいって一般ファンを惑わしている。

 柔道混合団体でのルーレットについては、文句があるならシステム採用時に運用方法も含めて言うべきで、後になって邪推してあれこれ言うべき問題ではない。

 総じて言えば、パリ五輪は史上最高の五輪だったと思う。とくに、ベルサイユの庭園での馬術など典型だが、記憶に残り、感動を共有できる文化財を会場に設定したことで、マイナーな競技への関心も高めた。

 開会式や自転車やマラソンをパリ市内のさまざまな地区を通過するコースで挙行したのは、素晴らしい市民との触れ合いだったし、観客の熱い声援は選手のアドレナリンを一挙に高めた。政治の混乱などで失われていたフランス人の国民的統合も見事に回復した。強制された国歌斉唱などしない国で、毎日、あちこちの会場で自然発生的に湧き上がったラ・マルセイエーズの合唱はその象徴だった。

 パリ五輪の野心的な取り組みは、選手が競技に集中するという点では、最善かどうかわからない。だが、近代五輪の本旨は、多くの種目のアスリートが一箇所に集まってスポーツを通じて人類の未来を創っていくことであろう。

 また、テロを過度に恐れず、国を挙げ、市民が不便を甘受して市民と多く交流する五輪を実現したことは、テロリズムへの完璧な勝利だったことも付け加えたい。無観客という後ろ向きな選択で逃げた東京五輪とは大違いだ。

(評論家 八幡和郎)