「カタカナ語を受け入れる、言い換えさせる、職場をダメにするのはどちらでしょうか?」
そう語るのは、これまでに400以上の企業・自治体・官公庁等で、働き方改革、組織変革、マネジメント変革の支援をしてきた沢渡あまねさん。その活動のなかで、時代遅れな体質をもつレガシーな組織には共通する文化や慣習、空気感があり、それらを見直していくことで組織全体の体質を変えていけると気づきました。
その方法をまとめたのが、書籍『組織の体質を現場から変える100の方法』です。社員、取引先、お客様、あらゆる人を遠ざける「時代遅れな体質」を変えるためにできる、抽象論ではない「具体策が満載」だと話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「学ばない姿勢」が組織体質に及ぼす悪影響について指摘します。
カタカナ語に拒否反応を示す組織
マネジメント、マーケティング、ダイバーシティ&インクルージョン、エンゲージメント……今や多くの外来語が飛び交っている。これら「カタカナ語」に対する反応も組織によりさまざまだ。
スンナリと受け入れて使いこなす人たちもいれば、あからさまな拒否反応を示す、さらには「ここは日本なのだから日本語を使え!」と、言い直させようとする人たちもいる。
社内用語や専門用語と同様に、難解なカタカナ語の多用も円滑な相互理解とコミュニケーションを妨げる。イラっとする気持ちもわかる。
カタカナ語は意思疎通に便利な面も
しかし過剰な拒絶反応もいかがなものだろうか。
少なくとも以下の2つに該当するような言葉は、他者と仕事を円滑に進めるための共通言語として理解する姿勢を持つべきではないか。
・適切に言い表す日本語が存在しない言葉
たとえば「マネジメント」は今や世界共通の概念であり、日本のあらゆる組織に求められる考え方である。なおかつ適切な日本語がない。「マネジメント=管理」とする向きもあるが、ニュアンスは微妙に異なる。管理はマネジメントの一部、または一形態に過ぎない。同様に「マーケティング=営業活動」ではない。
いちいち日本語の文章で解説していたら日が暮れるし、相手の頭にも入りにくい。円滑な景色合わせと意思疎通に支障をきたす。
カタカナ語にいちいち目くじら立てるのではなく、他者や社会と意思疎通をするための記号として割り切って覚える姿勢は大事だ。
学ぼうとしない大人たちに若手は幻滅する
「そんな言葉で言われてもわからない」
「俺たちがわかる日本語で説明しろ」
そう主張してふんぞり返る人たちに迎合すると、さらに学ばない体質を助長してしまう。
新しい言葉を学ぼうとしない恥ずかしいオトナたちに幻滅する若手もいる。
先日、筆者が事業を営んでいる静岡県浜松市にて、Uターンで地域に戻って就職・転職した20代~30代の座談会が行われた。地域の良いところ、残念なところを洗い出すグループワークを実施したそうだが、地域の残念なところを指摘するこんな意見があった。
「カタカナ語が通じない(バカにされる)」
東京などの大都市の企業では普通に使われているカタカナ語が通じない、使うとバカにされるというのだ。
勉強をする人が格好悪い、カタカナ語を使う人は「意識高い」と揶揄される。
地方都市、あるいは都市部であっても業界や組織によってはその文化がまだまだ色濃いところもある。
こうして意欲ある人たちが傷つき、無力化され、そっとその地域や組織から去っていく。あるいは物言わぬおとなしい人に変わっていく。なんとも切ない。そんなダサい地域では、そりゃ人口流出も加速する。