国内300万部を突破したベストセラー『嫌われる勇気』その舞台版が9年ぶりに再演されることになりました(9月23日~9月29日、於:紀伊國屋ホール)。原作どおりにアドラー心理学を踏まえながらも、設定を大胆に変更してサスペンスフルな人間ドラマとなった舞台版は、初演時の観客に強い衝撃と深い感動をもたらしました。
約10年の歳月を経ての再演は、果たしてどのような舞台になるのか。演出・脚本の和田憲明氏に、本番に向けての意気込みや作品の見どころを伺いました。(インタビュー:演劇ジャーナリスト 山田勝仁、構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

紀伊國屋ホールで行われる『嫌われる勇気』舞台版は人間ドラマとして描かれる『嫌われる勇気』舞台版の一場面。アドラー心理学を説く大学教授役の大鷹明良(右)とその教え子役である辻千恵

アドラー心理学に対する思い

──再演にあたってブラッシュアップした点があれば教えて頂けますか?

和田憲明(以下、和田):幸いなことに初演を見た原作者(岸見一郎氏、古賀史健氏)が大変気に入ってくださったこともあり、物語自体は基本的に大きな変更はありません。ただ、読み直してみて説明的だったと思えるセリフや、ちょっと強引に辻褄をあわせたようなエピソードはお客さんにもう少しスッキリ伝わるように手直ししました。

──和田さんのこれまでの演劇作品は、どちらかといえばユングやフロイト的な「人は過去のトラウマに左右される」というドロドロした人間ドラマが多かったと思います。ですが、アドラー心理学はそれらとはまったく正反対の考え方が特徴だと思いますが、それに基づく作品づくりには抵抗がありませんでしたか?

和田:トラウマとかドロドロとかそんなことを意識して作品を作ってきたつもりはないのですが(笑)、たしかに私も最初はどれだけ原作の『嫌われる勇気』から離れられるかを目指しました。ただ、原作を読み込み、著者の岸見先生にお話を聞いているうちに自分自身が変わりました。

 岸見先生はもちろんアドラー心理学に対する信念を持っているわけですが、それですべてが解決するとは思っていない。それを知ったうえでどう変わっていくかは、読む人や見る人に委ねているんです。そこに共感しました。

『嫌われる勇気』舞台版の演出・脚本を担当した和田憲明和田憲明(わだ・けんめい)
作・演出家
1984年に劇団ウォーキング・スタッフを結成。その後1998年の第26回公演『REDRUM』までの全作品を作・演出。1999年よりプロデュース形態に移行し現在まで数多くの作品を手掛ける。また。精力的に俳優と向き合うワークショップなどを開催している。
【受賞歴】「三億円事件」再演(2019年)第74回文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞/「怪人21面相」(2017年)第25回読売演劇大賞優秀作品賞優秀演出家賞/「三億円事件」(2016年)第24回読売演劇大賞優秀作品賞/「304」(2014年)第22回読売演劇大賞優秀演出家賞/「SOLID」(1999年)第7回読売演劇大賞優秀作品賞

──劇中でも、登場人物である刑事に「正直言うと私、哲学だの宗教だの苦手なんです。世の中、そう単純に理屈や綺麗ごとが通るワケじゃない」と語らせていますね。

和田:どんな哲学や思想にも、すべての人に通じる正解はないと思っています。だからといってアドラー心理学を全否定するつもりもありません。私は、アドラー心理学を知ったときに、劇作家カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』に引用されている「二ーバーの祈り」という散文を思い浮かべたんです。これはアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者であるとされていて、原作の『嫌われる勇気』にも出てきます。

「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」

 アルコールや薬物依存症の克服を支援するプログラムに採用されて広く知られるようになったものですが、アドラー心理学はこのニーバーの祈りをさらにしっかりと哲学として説明してくれていると感じます。昔から「そうだよなぁ、だけど自分にはできないな」と思っていたことなので、アドラーと二ーバー、二つの符合に得心がいきました。

──演出する上でもアドラー心理学は参考になりましたか?

和田:アドラー心理学に「課題の分離」という考え方があります。わかりやすく言うと、人間関係においては「他者の課題に介入しない」「自分の課題に他者を介入させない」ようにすることが、トラブルを発生させない一番の近道になると。お互いに相手の課題に踏み込まないことがポイントです。

 ですが、私はどうしても役者に対しては関わり過ぎるきらいがありまして(笑)。演技はおろか、役者の内面にまで踏み込んでしまう。生きることと演技することは一緒だと考えてしまうんです。でも、そこは分離しなきゃと反省しきりなんですが、まぁそれが私の課題かな(笑)。

──宗教も哲学も苦手とのことですが?

和田:その通りです。ただこの作品の脚本を書いたときに、岸見先生に「自分は宗教や哲学が苦手である」とお伝えしたら、こんな返事が返ってきました。「宗教は最後は神様に丸投げするので私は苦手です。アドラー心理学にしても、それですべてが解決できるとは思っていません。だからこそ今後も考え続けるのです」と。

 アドラー心理学ですべてが解決するのではなく、あくまでも「過程」なんだという答えにとても感動しました。演劇も『結果』ではなく、人間が変わっていく「過程」こそが大事なんだと思います。タイトルの「嫌われる勇気」は人から嫌われることを恐れず、自分の人生を生きればいいのだという教えですが、私もそうありたいと思っています。

あえて救いのない設定にした理由

──お客さんには、とくにどこを観てほしいとお考えですか?

和田:一番は人間ドラマを演ずる役者たちの芝居ですね。もちろんアドラー心理学に基づいた人間の行動様式が鍵となり、アドラーの思想を理解することも大切ですが、「人間」そのものを見てほしいです。

──原作設定を大きく変え、犯罪ドラマにした理由はなんでしょうか?

和田:アドラー心理学を劇化するとき、一番遠いのが殺人や事件が絡む刑事ドラマだと思いました。とにかく救いのない設定にして、そこにいかに救いを見出すかを描きたかった。これまで手がけたドラマは絶望的な結末を迎えるものが多いのですが、この作品は少しでも光を見出す舞台にしたかったのです。

──舞台をつくる上で意識していることを教えていただけますか?

和田:舞台をつくっていくとき、役者やスタッフなど他者との葛藤・摩擦は避けられないものです。タイトルになっている「嫌われる勇気」とは、たとえ相手からよく思われなくても、それを恐れず、自分の考えどおりに進む勇気のことを指しています。演出家と俳優も表現者として対等です。そこに信頼関係を築くことが大事ですから、その意味で互いに「嫌われる勇気」を持ちながら舞台をつくっていきたいと思っています。