【子どものいない人生】「無理はやめよう」 不妊治療と親の介護で疲弊した40代長女が、イラン人の夫と決めた新しい道写真はイメージです Photo:PIXTA

連載『「子どものいない人生」私の選択肢』第5回は、子どもを望んでいたが、子育てをしない人生を歩むことになったじゅんこさんとRさん夫婦。両親の介護を経て、亡くなった妹の子どもを育て上げ、現在じゅんこさんは学童保育で小学生たちとともに過ごす日々を送っている。2人の考える家族観について聞いた。(取材・文/フリーライター 柳本 操 ダイヤモンド・ライフ編集部)

子どもが好き
いつか母親になると思っていた

 子どもを持たなかった人も、子育てをしている人も、「人生も、人も、思い通りになるものではない」ことを痛感するという点では同じなのではないだろうか。介護や家族のケアなどによって、子どもを持つことを実現できない人も多くいる。

 学童保育で働いているじゅんこさん(61歳)も、そのような経験の持ち主だ。夫のRさん(59歳)はイラン人で、バイクや車の輸出販売業を営む。Rさんは30年ほど前にイランから日本にやってきて、じゅんこさんと結婚後に日本国籍を取得した。1年のうち半分ほどの期間は、Rさんの母親と姉が来日し、じゅんこさん宅に滞在する。Rさんは6人兄妹の次男で、兄妹のうち妹1人以外は全員日本に暮らしている。

 じゅんこさんが子どもを持たなかった理由は「タイミングを逃した」ためだった。4人姉妹の長女として、家族のいろいろな課題を乗り越えてきた道のりがある。

 子どもが好きで、将来は母親になるものだと当たり前に思っていたし、保育士になりたいと思った時期もあった。高校を卒業し、18歳から10年間、電気関係の商社で営業事務として働き、26歳から2年間、夜学のデザイン学校に通う。28歳のときに転職。子ども帽子メーカーでデザイナーのアシスタントから生産部門のチーフになった。

 忙しい日々を送りながら30代半ばでキューバのダンス教室に通いはじめ、ダンスを通じて36歳のときにRさんと出会った。3年の交際の末、結婚したのは39歳。子どもを持つにはギリギリのタイミングだった。Rさんもじゅんこさん同様子どもを望んでいて、結婚後、自然妊娠は難しいと分かり、不妊治療を開始した。

 治療は予想外に難航した。ホルモン剤の注射を打つとめまいがして、階段を下りるときにRさんの手を借りなければならないほど。なかなか着床(受精卵が子宮内膜の内部に侵入すること)せず、検査の結果、片側の卵管がふさがっていることがわかり、「2カ月に1回しか妊娠のチャンスがない」と医師に言われた。治療開始から1年たった頃、大量出血と腹痛で受診すると「赤ちゃんができていたけど子宮外妊娠だった」と言われた。

 それまでの治療でも、毎回、医師は「ダメだったね」と当たり前のように言うが、言われるたびに女性として機能的に問題があるからダメだった、と言われているようで精神的にこたえていた。