「大人になったら結婚し子どもを育てるのが当然」という固定観念は時代と共になくなりつつあるが、「子どもが欲しくない」という気持ちは言葉にしづらいもの。『「子どものいない人生」私の選択』第4回は、幼い頃の経験から「子どもが欲しくない」と「欲しい」の2つの気持ちで揺れ動いてきたケイコさんに話を聞く。(取材・文/フリーライター 柳本 操 ダイヤモンド・ライフ編集部)
子どものことはなるべく
頭の中から追いやっていた
「いろいろな生き方があっていい」という多様性の意識は浸透してきたかにみえるが、少子化が進み「次世代を担う子どもを産み育てることが社会貢献」という意識もある社会で「子どもが欲しいと思えない」という思いを表明するのは簡単なことではない。
自らの意志によって子どもを持たなかったケイコさん(45歳)も、気楽な気持ちでその生き方を選んだわけではない。障がい者施設で事務職として勤める彼女は、2歳年上の事実婚のパートナーがいる。「女性だから子どもを欲して当然」という固定観念ゆえに、自分の気持ちになかなか向き合うことができなかった。
これまでの経緯を、自分の気持ちをたどりつつ、丁寧に言葉にしてくれた。
子どもの頃から漠然と、子どもは欲しくないと思っていた。その気持ちに気づいたのは小学生のある出来事がきっかけだった。「手首を押して浮き出る突起の数で、将来持つ子どもの数がわかる」という遊びで友達に手首を押され、自分だけがたくさん出た。「ケイコちゃんは子どもがいっぱいできる!」と言われたとき、他の友達のように喜ぶ反応ができず、つらくなった。
「喜べない気持ちを出してはいけない、と思ったし、子どもが欲しくないと言ったら周りにどう思われるかと思うと言えなかった。女性に生まれたのにお母さんになりたくないなんて、自分はおかしいのではと思いました」(ケイコさん)
幼少期から両親が不仲だった。弟が不登校で、母親が弟の子育てに苦労する様子もずっと見てきた。2歳違いの姉であるケイコさんは母親から頼りにされ、出かける時は常に「弟が待っているからね」と言われる。家にいる時には母を助けなければと、友達と遊びたい時も弟の面倒を見るために我慢した。振り返るとのびのびした子ども時代はなかった。
母親のようになりたくない、家族の奴隷のような生活をしたくない、だから結婚はしたくない、子どもも欲しくない――と思っていた。20代半ばに現在のパートナーに出会ったが「結婚するかも?とは思ったものの、子どものことはなるべく頭から追いやっていました」