手に入らないものは仕方がない
新たな道を進むだけ

 夫のRさんは、子どもを持たなかったことについて、どう受け止めたのだろう。

「確かに悲しいことでした。でも、しょうがない。手に入れたいものがあっても、何かの理由で手に入らなかったら、その道はあきらめて新しい道を進むしかありません」

 イスラム教社会では家父長制に基づく男女の階級格差など複数の課題が指摘されている。そういった状況を踏まえて「イラン人にとっては、子どもがいて、あたたかい家族を営むことは誰にとっても当たり前の家族観」だとRさんは話す。

 子どもを育てるために養子をもらおうか、と2人で話したこともあった。

「子どもができるかできないかは神様が決めたこと。できなければ、じゅんこの体に負担がかかる治療に進めるべきではない。それに、親を亡くした子どもを養子にもらって育てればいい。日本人は血のつながりを重視するといいますが、私は、子どもは子ども、手もとで育てれば、広い意味の家族だと考えます。おそらく宗教や文化の違い、人それぞれの価値観の違いもあるのでしょう」

 ただ、養子縁組の話は具体的には進まなかった。介護生活が続いたことや、めいが中学時代に不登校になったこともあり、じゅんこさんはめいとの時間を大切にした。現在は、めいは車で通える距離で結婚生活を送っている。

 Rさんの仕事も軌道に乗りはじめた。じゅんこさんは50代になってから、中断していたキューバのダンス教室に週1回、再び通い始めた。50代後半からは、体力作りのためにパーソナルトレーニングも受けている。

 50代を通じて派遣社員としてIT企業、コールセンターなどで勤めてきたが、クレーム対応で精神的に疲れ、ハローワークでふと目にした学童の仕事の求人に応募してみた。

「かつての私だと体力的に無理だと思っていましたが、ダンスや筋トレで体力がついてきていたのでダメ元で挑戦したんです。60代なのに採用されてびっくり。働き始めてみると、60歳以上の方もいて、子どもたちと走り回っているので、またびっくりしました(笑)」

 小学3年生までが通う学童保育には、9時30分から18時まで勤務する。午前は子ども達を待ちながら掃除をしたり掲示板づくり、創作の準備などをする。「ロケットを制作したら難しすぎて子どもたちが作れなかった。硬い紙だと子どもたちの手ではホチキス止めできないんだな、など、現場で学ぶことがいっぱいです」

 子どもを必死で追いかけ回したり、水を飲まない子には「お茶会をしましょ?」と、ごっこ遊びで水分補給を促したりしている、と楽しそうに話す。