学童保育で子どもたちと触れ合って
感じること

 職場の同僚や保護者から「お子さんは?」と聞かれることもあるが「めいを育てました」と答えている。保育士になりたかったじゅんこさんが、いま学童保育の現場にいるということは、不思議な巡り合わせのようにも思える。

 子どもたちは、ことあるごとにじゅんこさんに抱きついてくる。触れ合いを求める子どもたちからは、親の忙しさが透けて見えるように感じることがある。

「もちろん親だって大変。帰ったらごはんを食べさせてお風呂、宿題を見たりとやることが山積みなんだと思います。疲れていて、早く寝てほしいと焦る気持ちもすごく分かるけれど、子どもたちはもっとぬくもりを求めているのかなぁ、とも思います」(じゅんこさん)

「日本は人と人とのつながりが薄く、家族の温かさを感じる時間が少なくなっているのではないでしょうか」(Rさん)

 イラン人同士は「元気?」と他愛ないやり取りをするためにしょっちゅう電話をし合うが、日本人の友人に電話をすると、第一声で「なにかあったの?」と聞かれる。反対にイラン人は、1週間連絡がないと「何かあったのか」と心配する。

 確かに私たち日本人は電話をわずらわしく感じ、テキストや絵文字でのシンプルなやり取りを好み、自分の世界に閉じこもることで疲れや苛立ちから逃れようとしているのかもしれない。

 さらにRさんは「これは日本人の優しさ、よい面でもあるのだが」と前置きした上で、もっと思っていることを表明していいのではないかと話す。

「イラン人は言いたいことがあればその場で言うし、すぐにケンカをするが、ケンカのあとは引きずらない。反対に、日本人は不満があっても黙っていることが多い。そのせいでずっと引きずって、負の思いをふくらませてしまうのではないでしょうか」

「産んだ人」「産まなかった人」が顔を背け合っていては、対話は成り立たない。産まなかったけれど育てている人、産んだけれど助けられながら育てる人、実にいろいろな生き方がある。そこで生じたすれ違いや疑問は、相手を尊重しながら意見をぶつけ合い、解決していくしかない。

 知らなかったことなら「知らなかった、ごめんなさい」と謝ればいい。そうして対話を重ねていくことで価値観がかき混ぜられ、職場も、仕事も、子育ても、今より面白いと思えるような環境にしていけるのではないだろうか。