前出の広瀬の著書『野球スコアのつけ方』によれば、広瀬は空振りの記録を録っていない。

 1951年、巨人の川上哲治は424打席、374打数で6三振というプロ野球タイ記録を作った。この年の川上はわずか7回しか空振りがなく、783球連続で空振りしなかったと言われているが、この間、広瀬がスコア記録を担当した試合が含まれていて、そもそも「空振り」を記録していなかったのでは?という疑惑がある。また他にも記録員によって異なる解釈もあるなど、整合性の問題があった。

セ・パ両リーグに分かれたことで
記録法を統一できなくなった

 そこで後年、山内は5000試合を超えるスコアブックを精査、確認し、清書していった。この膨大な作業によって、日本プロ野球の記録は現在に伝えられているのだ。

 1950年の2リーグ分立に伴い、広瀬はセ・リーグ、山内はパ・リーグの記録員になった。山内自身は、セ・パ両リーグの記録を統括する特別記録員になることを希望していたが、両リーグ間の反発が激しく、審判も公式記録員も各リーグで別個に雇用し、運営することになったのだ。