アマ球界、独立リーグは「早稲田式」、プロ野球だけが「慶應式」という「ねじれ状態」は、アマチュアのスコアラーからプロの公式記録員への転身の障壁となっている。NPBが公式記録員を募集する際に「経験不問」とするのは、NPBと慶應義塾大以外に「慶應式」でスコアをつけた経験がある人が存在しないためだと思われる。
日本では、本格的な「野球記録」は、1936年に発足した「職業野球」から始まった。リーグを運営する日本野球連盟は2年目の1937年に「公式記録員」を雇用した。MLBが長く公式記録の作成、集計を新聞記者に委託していたのとは対照的に、日本のプロ野球は発足直後から公式記録を自前で作成し、管理していたのだ。
プロ野球の公式記録員第1号は、広瀬謙三(1895~1970)だ。愛知県名古屋市の高等小学校を卒業後、苦学して1925年に雑誌『野球界』記者となる。1936年には「時事新報」に入社したが、この年発足した職業野球から公式記録を委託され、翌年、公式記録員となる。巨人の沢村栄治やタイガースの藤村富美男などが活躍した、草創期の職業野球の試合の多くは、広瀬謙三がスコアをつけたものだった。
広瀬は野球史に関する多くの著作を出版し「記録の神様」と呼ばれるようになる。