美代子さんは、幼い哲郎さんが「父さんが欲しい」と泣くたびに「いつかきっと帰って来るからね」と言って聞かせた。自分でもその思いは消えず、引き揚げ10年目に自分は人妻であることは間違いないからと、結婚指輪を購入する。

妻が待っているとは知らずに
夫はシベリアで家族を作った

 手紙の返信はなく、その後の情報もないままに年月は過ぎていく。やがて“父さん”という言葉が哲郎さんと美代子さんの間で出てくることはなくなった。

 木村家でも皆が諦めの心境を深めていた。「兄貴はシベリアに行って死んだのだろう」と鉄雄氏(編集部注/鉄五郎氏の実弟)が発しても、否定する人は誰もいなかった。

 1970年頃、鉄五郎氏はエンマ・ペドロヴナ・シュタング(1923年生)と一緒に暮らし始める。エンマは建築関係の仕事に就いていて、古くからの友人の1人だった。

 1975年4月29日、2人はカンスク市役所に婚姻届を提出して、正式の夫婦になる。そのエンマの連れ子がニーナで、少し東洋系の顔立ちをしている。ニーナの父親は、キムという朝鮮人である。

「話を明確にするために、私の母について少し説明します」と、ニーナは自分の両親の歴史について説明してくれた。

左より木村鉄五郎、ニーナ、エンマ。1971年頃。ニーナは15歳左より木村鉄五郎、ニーナ、エンマ。1971年頃。ニーナは15歳。同書より転載。木村ニーナ提供