「1950年から1952年にかけて、カンスクで母は私の実の父、キムと出会いました。彼はとてもよい人で、母はいつもそのことを話し、覚えていました。
1955年に釈放された時、キムはどこかの地に強制退去を命じられました。彼はエンマに自分と一緒に行くことを望みましたが、その時エンマは行方不明になっていた兄や姉の居場所を見つけて、連絡が取れるようになったばかりでした。
再び肉親を失うことを恐れた彼女はキムの申し出を断るしかなかった。彼女はその時すでに私を妊娠していることを知りませんでした。そして私は1956年3月20日に生まれました。その年の4月、母と私は抑圧者の扱いから名誉回復をして社会復帰を果たしました」
ニーナの出生証明書の父親の欄は空白である。しかし、その父称はキムの名を継いだニーナという赤ん坊が、2つの迫害を越えた出生であることを証明している。
心が2つに引き裂かれる苦しみ
再会が生んだ新たな葛藤とは
1997年3月、鉄五郎氏はニーナを連れて2度目の一時帰国をするのだが、事前に美代子さんから今回はホテルに泊まってほしい、との要請が来る。