芸者との恋にのめり込み
醜態を晒す田山花袋

 こうして花袋は、素人女との仲がうまくいかなかったので、今度は玄人遊びに走るという、非常にわかりやすい行動パターンを取るのである。

 もちろん、ここではそのことを倫理的に非難しようというのではない。確かに、霊の愛だの、神聖なラブだのと説いていた者が芸者遊びを始めるということには、ある種のうさん臭さがないとはいえない。だが、君子豹変すというではないか。

 それよりもここで興味深いのは、田山花袋の、この性愛行動の変容の前後に見られる意識の変化である。

『蒲団』のスキャンダル性は、そこに弟子に対する師の秘かな恋愛感情が暴露されていたということではなかった。そこで執拗に問題化されていたのは、「中年の恋」という「恥ずべき」振る舞いであった。いい年をして、妻子もあるのに恋心を感じるということが、情けないのであった。

 だが、小利との色恋沙汰には、このような問題系はまったくつきまとっていない。花袋は、小利とのすったもんだを『春雨』、『髪』、『一握の藁』などに書き込んだ。

 この女性も、岡田美知代に負けず劣らず、花袋を大いに振り回した、花袋も向こうを振り回した。

 しかしながら、花袋の感慨は「中年なのに恋のごたごたを起こして恥ずかしい」というようには展開しない。