そこで花袋を苦しめる思いは、たとえば、わかりやすく、女の真情がわからない、本気なのか、ビジネス上のリップ・サービスなのか判断がつかないといったことである(「其女はかれには解らない謎であつた。逢へば必ず新しい好奇心を惹起させるに足りるような複雑した心のスタイルを持つて居た。虚偽と真実と、真実と虚偽と、それが網のやうに深く織り込まれて、其処に一種名状せられない微妙な空気を醸して居た」[『髪』123頁])。
結婚に至らないプロとの情事は
想いが強くても恋愛とは言えない
この対比から次のことが明らかになる。
「中年の恋」という問題を立ち上げたのは、素人との恋であり、結婚に至る恋愛であり(芳子が入門を申し込んでくる直前に、芳子との「恋」を予告するような感情が時雄に起こる。それは出勤途中で毎朝出会う「美しい女教師」への懸想であり、その女との情事を夢想する時雄は、さらに「其時、細君懐妊して居つたから、不図難産して死ぬ、其後に其女を入れるとして何うであらう。平気で後妻に入れることが出来るだらうか」[『蒲団』73頁]などと妄想をたくましくしているのである)、いわゆる近代的恋愛であったことがわかるのである。