花袋は小利との関係を通じ、過去を振り返って悟る。

「恋などをさうした社会[花柳界]の女に求めるのは愚かなことだ。かれ等[芸妓たち]は自覚しないまでにも、自覚に近い分析と判断とを持つて居る。経験が生んだ偏つた観察を持つて居る。本当の恋の出来るやうな女は、無邪気な田舎娘か、感情に餓ゑた女学生に限つて居る」(『髪』17頁)。

 花柳的恋が近代的恋愛を相対化する。

 今日から見れば「ハラスメント」の範例とも見える『蒲団』事件であるが、これを歴史的文脈におけば、その問題性はハラスメントというよりは、性欲の発現の事例であり、そして、「中年の恋」という「恥ずべき」行為だということだった。

 だが、「性欲」も、「中年の恋」も、いや「中年」さえも、特定の評価のニュアンスを伴って、歴史的に構築された概念に過ぎない――それらは近代的恋愛観・家族観・婚姻観が作り出したものであった。それがなぜ「道ならぬ」ものなのかは、歴史的・文化的にまったく相対的なのである。