わざわざ自分を苦痛に追い込むという意味では、筋トレは自傷行為に近いとも言える。苦しいはずなのに筋トレを続ける人が、生き生きしていくのはなぜなのか。自分を痛めつける行為(自傷行為)と筋トレの明確な違いとは――。※本稿は、戸谷洋志『悪いことはなぜ楽しいのか』(ちくまプリマ、筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
刃物で自分を傷つけることだけが
「自傷行為」ではない
私たちの行動は、快楽と苦痛によって左右されます。多くの場合、人は快楽を追い求め、苦痛を忌避します。ところが、私たちには時として、自ら苦痛を追い求めることもあるのです。しかし、それはいったいどんなときでしょうか。
たとえば、その典型として、自傷行為を挙げることができます。刃物で自分の身体に傷をつける行為は、「私」にとっては、ただ痛いだけの行為です。それによって快楽を得ることはできません。そうであるにもかかわらず、ある種の人々は、そうした行為を自ら求めるのです。
もっとも、刃物で自分を傷つける行為だけが、自傷行為ではありません。たとえば、特にお金に困っていないのに売春をすることは、自分で自分を傷つける行為でしょう。また、自分のことを非難し、精神的に自分を追い詰めることも、ある意味では立派な自傷行為です。
しかし、そもそも、苦痛は避けられるべきものであったはずです。そうであるとしたら、自ら自分に苦痛を与えようとする、ということは、苦痛の定義からして矛盾しているように思えます。もしかしたら、自傷行為をする人にとっては、苦痛はむしろ快楽である、ということになるのでしょうか。