構造的な原因は、先にも書いたが、自転車の交通違反に対する具体的なペナルティがなかったことである。自転車の交通違反に遭遇した人は、「嫌なことに合った」「嫌なものを見た」と思うだけで、溜飲を下げるよすががまったくなかった。
しかし、改正道交法で取り締まりが強化されれば、少なくとも取り締まられた分はスッキリすることができる。自転車がただ裁かれないだけの構造が大きく変わりつつある。
「自転車は歩行者の仲間」
という甘えは許されなくなった
世の中的な原因は、これまでの当たり前だった「自転車は歩行者の仲間」というモラルである。筆者は1980年生まれだが、完全に「自転車は歩行者の仲間」という共通意識の中で育ち、近年「自転車がどうやら段々『車両』扱いされるようになってきた」と感じ、そう思おうとし、実際に自転車に乗る際は車道を走るようになった。
しかし、「自転車は車道走行」と法律だけ変わったものの自転車の走行に適していないと思われる未整備の道路はまだたくさんあることもあってか、なんならまだ「自転車は歩行者の仲間」というイメージの方が自分にとってはしっくり来る。これが「世の中」がもたらす自転車のネガティブイメージの原因である。
かつての共通意識だった「自転車は歩行者の仲間」と、現行の「自転車は車両」の意識に乖離があり、かつ両方の意識が混在している過渡期であるため、自転車に接する自転車以外の人はもやもやしやすいのである。
自転車の取り締まりを目的とした道交法改正は、事故を減らすとともに、世の中の不満を晴らす役割を持っているのであった。
こうなってくるともうひとつ期待したいのは、電動キックボードへの取り締まりである。手元のスイッチを押せばスイーっと動くあれで、都市部では電動キックボードシェアのサービスが充実してきている。
電動キックボードは分類がややこしく、「特定小型原動機付自転車」あるいは「特例特定小型原動機付自転車」というもので、もう一見しただけで人の理解を拒む字面をしているが、要はそれ専用の法律の元で運用されている乗り物である。