取り締まり強化に相次ぐ喜びの声
自転車が人を「いや~な気分」にさせる理由

 この道交法改正を受けて、ネット世論を含む世間は大変喜んでいる。道路を利用する人なら誰もが当事者となるほぼ全国民を対象としたトピックであり、その反応の大きさに、いかに多くの人が危険な自転車が醸す不条理に悩まされてきたかが伝わってくる。自転車利用者にとっては縛りが増えることになるわけだが、ルールを遵守することでお互いの危険を減らせるので、ぜひ協力してほしいところである。

 危険な自転車は、見る人に2つのネガティブな気持ちを催させる。ひとつは恐怖である。歩行者ならぶつけられて怪我するのが怖いし、車のドライバーなら怪我をさせるのが怖い。ドライバーの、もっと保身寄りの本音をつまびらかにするなら、もはや「当たり屋」みたいな自転車との事故に巻き込まれて、大きな過失割合を背負わされるのがすごく嫌である。

 もうひとつのネガティブな気持ちは、公共の場でマナーに違反している人を見るときのモヤモヤである。自転車の交通違反は、「マナー」違反ではなく「ルール」違反なのだが、青切符などの罰則が具体化されていない間はルールを守らずとも罰せられないため「マナー違反」的であり、それらを目撃するだけの傍観者はただモヤモヤするしかなかった。

 危険な自転車が事故に合わないよう、歩行者、およびドライバーが注意して守っているようなシーンも、道路上ではしばしば見られる。対自転車で事故を起こせば大きく過失割合を負わされる車にとって、特に自転車は「守ってあげるもの」であり、危険な運転の自転車にはとりわけ動向を警戒して保護するように走行してあげねばならない。

 だが、ドライバーからすると「現行法でちやほやされているだけのマナーのなっていない自転車を、なぜ自分がこうも保護してやらねばならぬのか」と感じることがないわけでもなく、またその保護されている自転車は保護されている自覚がなさそうにツルッとしているため、ドライバーは余計にやきもきするのである。

 はっきり言って、こうしたドライバーや歩行者の自転車に対するネガティブな気持ちは、安全運転の意識が希薄な自転車本人にも当然原因があるが、構造的な原因や世の中的な原因もある。