筆者も雑誌編集者だった頃、情報番組に多数出演していたある分野の「権威」に取材を申し込んだら、この雑誌によく登場していたある著名な評論家の名前を挙げて「あんなデタラメな人間の話を掲載しているような雑誌には協力できない」と断られたことがある。
アカデミズムやジャーナリズムなどその世界の「権威」と呼ばれる人というのは、高名になればなるほど、自分の見解と異なる人、反対意見を唱える者たちと「同列」に扱われることを嫌がる。「あんなアホと一緒にされたくない」という思いがどうしても強くなってしまうのだ。
実はこのような「権威の忖度」が「偏向報道」を量産している、というなんとも皮肉な現実がある。
大手メディアが偏向報道を続ける“オトナの事情”とは
一体どういうことか、元文科事務次官の前川喜平氏をケースに説明していこう。
ご存じのように、前川氏は官僚組織トップにいらっしゃった経験と見識に基づいて、自民党政権や日本社会の問題を論じている。その言説は朝日新聞、東京新聞、TBSなどリベラル系大手メディアでよく取り上げられており、この分野の「権威」のおひとりと言っても差し支えない。
では、そんな「権威」が今回の兵庫県知事選について、どのような主張をしているのか。ご自身のXでの投稿を一部引用させていただく。
「真実が虚偽に敗れた、誠実が不実に敗れた、寛容が傲慢に敗れた、賢明が蒙昧に敗れた、正気が狂気に敗れた兵庫県知事選。この深刻な民主主義の危機は、メディアと教育の責任だ」(前川喜平氏のXより)
「斉藤素彦を当選させた選挙ビジネスは、民主主義を破壊する悪性ウイルスだ。その正体を暴いて退治しなければならない」(前川喜平氏のXより)
これを踏まえて、ちょっと想像力を働かせていただきたい。
もし仮に朝日新聞記者が、独自に取材をした結果、斎藤氏や彼の支援者たちが主張している「パワハラやおねだりは冤罪だった」という主張が、そこまで荒唐無稽な話ではないという結論に至ったとして、この記者はそれを紙面で伝えることができるだろうか。
できるわけがない。これまで自社が「真実を言っている正義の官僚」と散々持ち上げてきた前川氏が、そのような主張をする輩は「狂気」だとバッサリ切り捨てて、「退治しなければならない」とまでおっしゃっている。「いや、あっちの意見も一理ありますよ」などと口が裂けても言うことはできない。