「ほしい結果」はまず出てこない。「失敗を許容する文化」の大切さ
――そして、「組織学習」を促進するようなデータ分析をやろうと思うなら、やはり、プロジェクトそのものの「内製化」がカギになってくるのですね。
はい。自分たちなりの「学び」のサイクルを生み出すことさえできていれば、べつにものすごく高度な分析手法を使ったりする必要はないし、「自分たちは専門家じゃないから……」なんて及び腰にならなくてもいい。わからないことがあっても、外部の人にどんどん聞いていけばいいんです。
すごく極端な言い方をしてしまえば、データ分析の結果について、メンバーみんなで「これってどういうことなんだろう?」「どんなアクションが取れるだろう?」と議論する「場」をつくれれば、目的の大半は達成できているともいえるんですよ。
私たちのような研究者であれば、「それは因果関係なのか相関関係なのか?」とか「じつは疑似相関にすぎないのではないか?」といったことを厳密に検証する責任がありますが、実務の現場レベルであれば、まずは手元のデータを動かしてみて、みんなで対話をしてみるだけでも、十分にすばらしい一歩だと思います。
――人事データが手つかずのまま放置されている企業にしてみれば、ひとまず、分析してみただけでも「前進」ですね。
もっといえば、当初の仮説どおりの検証結果にならなくてもいいんです。
というよりも、仮説どおりの結果が出てくることなんて、まず期待しないほうがいい。
われわれのような専門家がやっているデータ分析でも、「ぜんぜん思いどおりにならない」ことが“日常”ですから。「質のいいデータを集められるよう、完璧にお膳立てをしているはずなのに、いざ分析をかけてみるとどうにもほしい結果が出てこない……」みたいなことはザラにあります。
世の中には、データドリブン人事に過度な期待を寄せている人がいて、数字を放り込んでポンとボタンを押せば、一発で「ものすごくクリアな答え」が出てくるかのように思っている。
ですが、人や組織に含まれるさまざまな要素の関係性はきわめて複雑に絡み合っていて、「AとBって関係しているよね」とか「CがDの原因だよね」というようにはなかなか単純に言い切れない。
出てくるのはだいたい「かなり微妙なデータ」です。だからこそ、思いどおりの結果が出てこなくても、「これ、なんでこうなってしまうんだろう?」とみんなで互いに議論して、組織の力をアップデートしていくことに重きを置いたほうがいいんだと思いますね。
――データ分析の「結果」だけではなく、「プロセス」が大事ともいえそうです。
もちろん、仕事である以上は、プロジェクトとして終わらせないといけないし、なんらかの「結論」は求められるでしょう。
ですが、組織として「絶対にこういう分析結果を出してね!」みたいなプレッシャーがあるのはよろしくないと思いますし、「経営陣が望んでいるような結果を出すために、現場のほうでデータをいじくり回す」なんていうのは論外です。
期待した結果が出なかったときに「失敗を許容するカルチャー」がないと、データドリブン人事を継続していくのは難しいでしょうね。
私自身、企業からデータ分析を頼まれた際には、必ず事前に「『何も出てこない』こともありますし、逆に『不都合な結果が出てくる』こともありますよ。それでも大丈夫ですか?」と念を押すようにしています。
