近年、さまざまなところで注目されている「ウェルビーイング」。それは、個人レベルの生き方や心の持ちようだけではなく、企業や社会の課題としての意味を持つ。ウェルビーイングとは何か? なぜ、ウェルビーイングが注目されているのか? 個人や組織はどのように向き合えばよいのか? 今年(2024年)4月、世界で初めてウェルビーイングを冠した武蔵野大学ウェルビーイング学部が発足。その初代の学部長であり、日本におけるウェルビーイング研究の第一人者である前野隆司さん(武蔵野大学ウェルビーイング学部学部長/教授 兼 慶應義塾大学大学院教授)に話を伺った。(ダイヤモンド社 人材開発編集部、撮影/菅沢健治)
なぜ、「ウェルビーイング」が注目されているのか
近年、「ウェルビーイング」という言葉をさまざまな場面で聞くようになった。政府は、2021年、GDPのような経済統計に加え、社会の豊かさや人々の生活の質、満足度などに注目していくことが極めて有意義であるとし、いわゆる骨太方針で「政府の各種の基本計画等について、Well-beingに関するKPIを設定する」とした。経団連は、2023年、サステナブルな資本主義をテーマとした検討会議報告で「多くの人が中間層として経済的な豊かさを実感し、多様なウェルビーイングやそれぞれの希望が叶えられる社会」を目指すとした。科学技術分野においても、国の「ムーンショット型研究開発制度」における10の目標すべてが「人々の幸福(Human Well-being)の実現」を目指している。
なぜ、これほど、「ウェルビーイング」が注目されているのだろうか。
前野 理由は二つあると思います。ひとつは社会の情勢変化、もうひとつは関連研究が進んだことです。
まず、社会情勢の変化ですが、「失われた30年」といわれるように、バブル崩壊後、日本は社会全体の雰囲気が暗い時期が長く続き、各種の幸福度調査においても先進国の中でダントツの最下位を続けてきました。ここにきて、ようやく、それを打破しなければいけないという雰囲気が社会全体で高まっているのだと思います。
もう一つは、ウェルビーイングに関する研究が進み、そのメリットが知られてきたことです。幸福度が高い人は、創造性が3倍、生産性が30%高く、長寿にもつながるという調査データがあります。社員の幸福度が高い企業は売上と利益が伸び、株価も上がるといったデータもあります。必要性とエビデンスの両方が揃ってきたのです。
欧米では、社内にウェルビーイング担当を置くだけでなく、CWBO(Chief Well-Being Officer)を任命する企業が増えています。アカデミズムでも、アメリカの経営学会では、戦略やマーケティングと同じようにウェルビーイングの専門部会があり、MBAではウェルビーイングを当たり前のように教えています。しかし、多くの日本企業は、ようやく、「人的資本」「健康経営」「働き方改革」などとの関連で従業員のウェルビーイングを考え始めた段階ではないでしょうか。企業だけではなく、社会全体で、ウェルビーイングに対する取り組みをスピードアップしなければならないというのが私の本音です。
前野隆司 Takashi MAENO
武蔵野大学ウェルビーイング学部 学部長/教授 兼
慶應義塾大学大学院 教授
1984年、東京工業大学卒業、1986 年、同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼務。 2024年4 月、武蔵野大学ウェルビーイング学部学部長に就任。博士(工学)。著書に、『ディストピア禍の新・幸福論』(2022年)、『ウェルビーイング』(2022年)、『幸せな職場の経営学』(2019年)、『幸せのメカニズム』(2013年)、『脳はなぜ「心」を作ったのか』(2004年)など多数。専門は、システムデザイン・マネジメント学、 幸福学、イノベーション教育など。
「ウェルビーイング」について、日本人の多くは、なんとなく、「幸せ」と同じものと捉えているのではないだろうか。もちろん、それはまったくの間違いではないが、ウェルビーイングの視点からは、「長続きしない幸せ」と「長続きする幸せ」があると、前野学部長は指摘する。
前野 「長続きしない幸せ」とは、「地位財」によってもたらされるものです。簡単にいえば、社会的地位やお金、モノなどを手に入れることで得られる幸せです。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン教授の研究によると、一定レベルまでは収入アップに比例して幸福度が上がりますが、そこを超えると、収入と幸福度の相関関係は弱まります。
一方、「長続きする幸せ」とは、健康や愛情、やりがい、自由など、お金では必ずしもあがなえないものによってもたらされる幸せです。こうした「長続きする幸せ」に着目し、私は、自分たちの研究結果から、「幸せの4つの因子」を提唱しています。