何度も何度も袖で目をこすった。何度拭いても、視界はぼやけたままだった。
そうか、僕は大学4年間勉強できるんやな。実感が少しずつ湧いてきていた。
「孫さん。ありがとうございます。ありがとうございます…」
何度もそう口にしながら、僕は自転車の上で泣いていた。
いつもの帰り道、昨日までと同じ道。でも自転車を漕ぐ僕の人生は、昨日までとは全く違うものになっている。
「もう、心配せんでいいんや。そうや、心配せんでいいんや…」
ずっとずっと、不安で不安で仕方なかった。毎日がどこか憂鬱で、周りの友達を見て、悔しくて帰ってから一人で泣いていたことも何度もある。でも、もう僕もそんな心配をしなくていいんだ。
僕はあの帰り道に感じた気持ちを、感謝を、込み上げた気持ちを、ずっと忘れない。
父母のお金、祖父母のお金
孫正義育英財団の正財団生に合格したら…と、以前から決めていたことがあった。僕は、上京する際に両親から50万円、祖父母から50万円を借りていた。それを返しに行く、そう決めていた。18歳で家を出るときに、家族には一切迷惑をかけずに一人で生きていく、そう決めていた。商売の家で育って近くで見ていたから、数十万円がないために一家が立ち行かなくなることも知っていた。
伊勢に帰省し、僕は一直線にATMに向かった。いざ現金としてお金を手にすると手が震えた。
家に帰って、僕は父と母に向かって言った。
「これ、ありがとう。借りとった50万円。助かったよ」
「返さんでええんよ。使ったらええ」と母は言った。
「ううん、返すわ。ありがとう。その代わり、このお金は必ず弟が大学に行くときに、同じように渡してあげてほしい。必ずや。その時まで取っておいてほしい」
「…わかった。ありがとうなあ」
僕は母の顔を見ないように、そっとその場を離れた。
それから数日後、僕は残りの50万円を持って母と一緒に祖父母の家へ向かった。
「おお! 太一! 帰って来とったか!」と祖父が嬉しそうに言った。
東京での近況を話し、しばらくして、僕は深呼吸してからこう切り出した。祖父母の前だ、泣かないと決めていた。