「介護施設へ親を入れる=親不孝」
「施設に入れられた=見捨てられた」という意識

 近年、高齢者人口が急速に増加するのに伴い、介護施設が各地で急ピッチに建設され、介護サービスも多様化している。人々の考え方や意識も変わりつつあるが、それでも「親を施設に入れる」ことは「親不孝」とみられ、世間の目を気にしたり、後ろめたさを感じたりする人は今も多い。また、介護施設への不信感から「こんなところに親を送ったら、どんな目に合うか分からない、親が可哀想だ」と考える人も少なくない。

 中国人特有のメンツ意識や、高齢者自身が施設に預けられることを「見捨てられた」と感じる傾向もある。また、家族間の密接な関係性から、無理をしてでも在宅介護を選ぶケースが多い。その結果、「老老介護」や「隠れ介護」が増加し、介護者が鬱になったり、日常生活が崩壊したりといった問題が続出している。

 北京大学ジャーナリズム・コミュニケーション学院の胡勇教授もそうした一人だ。今年4月、「北京大学教授が24時間の介護士に」という報道が中国全土で注目を集めた。50代の胡教授が85歳の認知症の母親を24時間介護しているという話題を、マスコミもこぞって取り上げた。

 胡教授は数年前に父親を亡くし、その後母親が認知症を発症。かつては「声が大きく、いつも元気」だった母親が、別人のようになってしまった。母親は排便のコントロールができず、どこでも排尿・排便してしまう時期があって、家の中はふん尿の臭いが充満していたという。「人生は糞に始まり糞に終わる」と語る胡教授。

 彼の一日は、母親の着替えや痰の処理、口元を拭くことから始まり、3食の準備、洗濯、投薬管理、車いすでの散歩など、細かな介護作業で埋め尽くされている。夜遅くには母親が床に投げ捨てたものを拾い集める。そうした合間を縫って、睡眠時間を削りながら本や論文を書き、わずかな時間を見つけては自宅で妻や子供と過ごすという生活を送っている。

「体力的に限界を感じるだけではなく、幾度も精神的に崩壊する寸前となった」と胡教授は話す。そして「介護には勝者がいない」とも。

 学者が自分自身の率直な体験談を世に好評したことで、多くの人々が共感し、関心が高まった。誰でも直面する問題であり「明日は我が身」だからだ。