創価学会公称の会員世帯数は約827万世帯。国民の7人に1人が会員と言われる宗教団体にもかかわらず、その内実を知る者は少ない。学会員と噂される芸能人の存在も公然の秘密となっているが、なぜ創価学会はここまで信者を拡大できたのか?そこには学会特有の構造的な要因があるという。※本稿は島田裕巳氏『完全版 創価学会』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
豪華な仏壇の購入から見える
学会員の「負けまい」とする意識
創価学会員たちは、自分たちの故郷にある村を追い出されてきた人間たちである。あるいは、生きていくために村を後にせざるを得なかった人間たちである。
おそらく彼らは、故郷を去るときに、都会で一旗揚げ、故郷に錦を飾ることによって、自分を都会へと追いやった故郷の人々を見返してやろうと考えたに違いない。
創価学会員となった彼らが、都会でたくわえた金で、豪華な正宗用仏壇を購入したのも、そこには故郷の人々には負けまいとする意識が働いていたからであろう。
そして彼らは、自分たちの属する組織を村と共通した機能を果たす相互扶助の組織に仕立て上げていった。創価学会員たちは、出てきたばかりの都会で、生活の基盤を確立できておらず、寄る辺ない境遇におかれていた。都会で安定した豊かな生活を実現するには、それを助けてくれる仲間を必要とした。
創価学会に入会すれば、そこには強固な人間関係のネットワークができ上がっている。そのネットワークは日常生活全般に及んでいく。一般の社会に属する人々との付き合いは減り、創価学会員同士の付き合いの方が、より頻繁で深いものになっていく。
学会員は、地域に生活の場をおいた庶民たちであり、その職種も各種の店主や店員、町工場の工場主や工員、個人タクシーの運転手、保母などに及んでいる。
そうした人間たちが集まれば、どんなことでもこなすことができ、何か問題に直面したときは、他の会員たちが相談に乗ってくれるのはもちろん、手術を受けるなどというときには、皆で集まって「南無妙法蓮華経」の題目を上げてくれたりする。引っ越しや葬儀の手伝いもしてくれるし、福祉施設への斡旋が必要となれば、公明党の議員に紹介を依頼してくれたりする。
また、庶民的な人情家が多く、人間関係の持ち方も決して都会的ではなく、村的な温かさをもっている。その点で、創価学会の組織は相互扶助の役割を果たす一つの村なのである。