広告塔の創価芸能人は手厚い対応
相互扶助で安定的な活動の基盤に
芸能人に学会員が多いのも、やはり相互扶助組織としての機能があるからである。
芸能人は芸術部に属することになるが、創価学会の強みは、興行組織として民音をもっているところにある。民音の創立者は池田大作で、創価学会芸術部に属している芸能人ならば、コンサートのチケットなどの販売を民音に期待することができる。
浮き沈みの大きな芸能界では、個人で生き延びようとするには限界がある。その点で、芸術部なり、民音なりは、芸能人に安定した芸能活動を行う基盤を与えてくれる。
芸術部のメンバーは、創価学会の対外的な顔の役割を果たしており、その分、組織としての対応にも手厚いものがある。会員であることを知られたくない芸術部の会員には、公の場への出席なども強制せず、しだいに信仰をもっていることを公表させる方向へむかわせていくのである。
創価学会が巨大な相互扶助組織であるという点は、組織の維持ということに大きく貢献している。というのも、一度巨大な相互扶助組織のなかに属した人間は、その世界から抜け出すことが難しくなってくるからである。
創価学会員の家庭に生まれた人間がいたとする。その人間の家族は、両親や祖父母をはじめ、親戚の大半は創価学会員で、日頃の付き合いのある人間もほとんどが学会員である。そうした環境に生まれた人間は、子ども時代から学会員とばかり付き合うようになり、自然と学会員の家庭の子どもと友達になっていく。
その人間が成長し、結婚をしようと考えたとき、果たしてどうなるだろうか。
結婚相手として、学会員以外の人間を考えることは相当に難しいであろう。学会員でない相手を折伏し、学会に入ってもらってから結婚するという手立てもあるだろう。しかし、相手が折伏に応じてくれなければ、やはり結婚は難しい。
すべての人間関係を捨てられるか?
反発心で突き付けられる究極の選択
もしその人間が、信仰に対して疑問をもったとしたらどうなるのだろうか。
子ども時代には、親から言われたとおりに信仰活動を実践していても、思春期になって、それに疑問を感じることは少なくない。自らの信仰が、自分で選びとったものではなく、親から強制されたものと感じるようになれば、強い反発心が頭をもたげてくることになる。
そのとき、その人間は重大な岐路に立たされることになる。