もし信仰を捨て、学会を抜けるということになれば、それは同時に、家族や知人、友人からなる相互扶助組織を捨てるということを意味するからである。

 つまり、それまでの人間関係のすべてを捨てなければならない危険性があるわけである。

 果たして、そうしたリスクを冒してまで、脱会へと踏み切れるものなのだろうか。多くの人間は、そこで信仰を捨てるのではなく、あくまで信仰を保ち続ける道を選ぶことになるのではないだろうか。

 現在、折伏によって、新たに創価学会の会員になる人間はそれほど多くはない。

 しかし、会員の子どもたち、あるいは孫たちは、信仰2世、あるいは3世として、学会のなかに留まる場合が少なくない。それによって、巨大な相互扶助組織は維持され、その力は保たれているのである。

 創価学会以外の新宗教教団では、たいがい衰退の傾向が続き、信者数の減少に苦しんでいる。新しい信者を獲得することが難しい上に、子どもや孫に信仰を伝えていくことができないからである。その意味で、創価学会の一人勝ちという状況が生まれている。

強固な相互扶助組織であることが
創価学会を支える最大の力

書影『創価学会』(新潮社)『完全版 創価学会』(新潮社)
島田裕巳 著

 そして、創価学会の一人勝ちという状況は、対新宗教という次元だけのことではなくなっている。創価学会の会員たちは、村という共同体から追い出されたがゆえに、それに代わる新たな村の創造をめざしたわけだが、彼らを追い出した村落共同体は軒並み力を失っている。村全体が衰退し、都市部と農村部との生活面での格差が拡大している。

 とくに、情報化の進展は、情報の集中した都市の価値をさらに高め、農村部は情報から疎外されるという状況が起こっている。

 いつの間にか、日本の社会には、強固な相互扶助組織、つまりは巨大な村として、創価学会だけが存在するという状況が生まれている。

 創価学会と長く対抗関係にあった労働組合も衰退し、相互扶助組織としての力を失っている。企業にしても、終身雇用を核とした日本的経営を維持することが難しくなり、社員の生活を丸抱えする村的な性格を失いつつある。

 相互扶助組織として生き残ったことが、現在の創価学会を支える最大の力となっている。自民党が公明党を切り捨てられないのも、公明党の背後に、創価学会という巨大な村が存在しているからなのである。