山口 そうですね。セックスの話もそうですが、なぜタブーなのかを含めて背景を明らかにしていき、結果、社会からタブーが減っていくといいなと思いますね。もちろん、お金を汚いものと言いたくなる気持ちはよく分かるんです。それは先ほども述べた通り、お金とは数字であり、究極のコモディティであり、でもだからこそ世界中のあらゆる人が理解はできるけれども、自分自身の本質を何をも表しているわけではない。自分というアイデンティティや生命の本質からもっとも遠いところにあるこのお金という存在を、人が避ける気持ちはよく分かるのです。

 だったら、お金とは価値と信用をコモディティとして表現した数字にすぎないものとして客観的に認識すればいいだけのことだと思う。そうすることで僕たちは変な感情をお金に投影せず、「生きていくためにお金をください」と初めて言えるようになるのではないかと思います。

平野 確かに。特に文学の世界でお金がタブー視されるのは、結局、アイデンティティに関わるからだと思うんですよ。つまり、書きたいものを書いて、結果として評価がついてくる、というのではなくて、最初から金のことを考えながら書くというのは確かに不純だし、「魂を売っている」とか「本当の自分を曲げて大衆迎合している」と思われるのも、尤もです。AKB48が流行っているからといって、僕が急にAKB48の小説を書いたら、そりゃ魂を売っている感じがするでしょうから(笑)。

山口 それは面白い(笑)。まあ、いろいろ勝手なことを言う人は出てくるでしょうね。

平野 でも、何でもアイデンティティと絡めて単純に矮小化されるのは、作家にとって非常に根深い問題です。たとえば、小説のデザインを最終的にどう洗練させていくか、というプロセスについて話していても、同じことが起こるんですよ。

 文学の世界に「デザイン」という言葉を導入したのは僕ですが、そういう概念を持ち込む必要があったんです。小説を読者とどう切り結ぶのかという議論をしたくても、「読みやすくしましょう」と言うと、すぐに「大衆迎合、金のため」という話にすり替えられて、話が進まなくなってしまう。

 でも文学以外の世界を見渡せば、車だって外装なしで走るわけにはいかないんだし、デザインを緻密に考えないと受け入れてもらえないじゃないですか。しかもそのデザインは、機能と有機的一体化したものです。文章自体にある種のアフォーダンス(物体自体が発する、それをどう扱えばよいかというメッセージ)みたいなものがあって、それをデザインしていくことこそ、本当のリーダビリティ(読みやすくすること)について考えることだ、と僕は思っています。