平野 出発点だったアートに近い世界ではなく、かなり飛躍された印象がありますが、あえてお金の世界に飛び込まれた理由は何だったのですか?

撮影:住友一俊

山口 家が事業をやっていた影響が大きいと思います。

 たとえば中学2年生の夏休み、家族で1ヵ月、オーストラリアのプール付きのヴィラに泊まってバカンスしていました。でも確かその翌年の夏に家族旅行で向かった先は伊豆の民宿で、さらにそこで親が少しでも宿泊代を値切ろうと価格交渉している姿を目の当たりにした(笑)。いわゆるバブル崩壊の前後だったと思うのですが、「ああ、生きていくのはとても大変なことだ」ということを原体験として刻み込まれました。

 そのせいか、自分が好きなことをやるよりも、まず「食える」ことが最優先だ、と考え方の方針を変えてきたわけです。それ以上に、何かを生み出したいという思いは、ずっと強くありました。

平野 あまり粗雑に世代論にすべきではないと思いますけど、ちょうど僕も山口さんも1975年生まれですよね。自分も含めて僕らの世代には、そういうタイプが多かったという実感があります。

 就職氷河期でみんな暗かったし、景気が悪かったから消費を通じて自己確認することもなかった。分かりやすい話でいえば、フェラーリに乗るとか、六本木ヒルズに住むとか、あまり興味を持てませんでしたよね。それよりも、自分がやりたいことをやりたいし、そのために、自分という人間がどういう存在なのかを理解したいという願望がすごく強いと思います。ただし、自分について理解はできたとしても、いざそれに合った仕事に就こうと思ったら、なかなかうまくいかないんですけどね。

山口 とてもよく分かります。世代の体験として、あった気がしますね。それが今、貨幣論について考える下敷きになっているのかもしれません。

作家はお金の話をしてはいけない?!
文学とお金の微妙な関係

山口 平野さんは大学生のときに書かれた小説『日蝕』で芥川賞を受賞されました。かなり若い頃に成功されたから、あまりお金のことは考えずにこられたのではないですか?

平野 いや、むしろすごく考えますよ。僕は懐疑的な人間なので、きれいごとは嫌いなんです。それはお金についても同じです。山口さんが書かれているテーマよりレベルの低い話ですけど、文学に携わる業界では作家が金について考えることを潔しとしない風潮が今もかなりあるんです。エッセイや公演の依頼でも、ギャラを最初に言わないとか。でも作家も霞を食って生きているわけではないから、それでは困る。

 山口さんの本にピカソとゴッホの話が出てきましたが、『空白を満たしなさい』を書くために、ゴッホの手紙を再読してみたところ、やっぱり、ものすごく生活のことを心配している様子が窺えました。ゴッホは浮世離れしたアーティストというイメージを持たれることが多いですが、画家の互助的な組織を作ろうとしたり、普通に金のことも考えていたわけです。それが「人間」だという気がしますよね。そうじゃないと、あの弟テオとの関係は理解できないと思います。