トーチが、想像していたよりもずっと重かったんですよ。長さが71センチだそうです。
わたしの身長の半分以上のものを掲げて進む……ということになったわけです。これはとても大変でした。膝や足腰を重点的にトレーニングしてきましたけれど、腕力など手首も鍛えておくべきでした……。わたしは理容師ですから、ハサミより重たいものは持たないんですよね。
沿道やセレモニーには、町の方々や応援のみなさんがたくさん駆けつけてくださいました。「がんばったねー」「お疲れさまー」と、自分のことのように喜んでくださってね、そのお顔を見てたときに「ああ、やってよかったなあ」という気持ちが込み上げてきました。考えもしなかった大きな出来事でしたけれど、病気にもならずケガもせずにやりきることができて、とにかくホッとしました。
「誰かのため」と思えば
出ない力も湧くもの
洗濯したタオルに足を取られて転び、肋骨を折ったことを書きましたが、そういう身体の問題ではなく心の問題として、「聖火ランナーは無理かもしれない」と思った時期がありました。
ストレスでしょうか、プレッシャーというんでしょうか、考えれば考えるほど「荷の重さ」を実感するようになりまして……。「大丈夫かなあ」「本当にわたしで役は果たせるのかな」と、不安で眠れない夜もあったんですよ。
聖火ランナーが発表されると、最高齢ということでテレビに取り上げていただいたりしたことで、全国から励ましのお手紙が届くようになったりしました。それで「みなさんの期待に応えられるかな。いや、応えなければならない」と、自問自答が続きました。
息子にだけは「無理かもしれない」と弱音を吐きましたが、「気楽に構えていようよ、なるようになるよ。大丈夫だよ」と励ましてくれました。それで、かろうじて毎日の自己流体操と散歩は続けていました。
思えば、不安で気持ちが乱されるなんて、わたしらしくないんです。これまで何ごとも、根気と努力で乗り越えてきたというのに……。ことの大きさに自分を見失っていたんですね。それで、この聖火ランナーという特別なことを、「息子への最後の子ども孝行」と考えるようにしました。
そうすると不思議なものでね、「自分のため」だと、思い詰めて縮こまってしまうのですが、「誰かのため」と思えば出ない力も湧いてくるのです。
聖火ランナーの付き添いとして、本番では息子も一緒に走ることが決まっていましたから。このイベントは、これまでわたしや店を助けて支えてくれた英ちゃんへのお礼で、二人三脚の花道でもある、そう思いました。それでなんとかやり遂げることができました。