カリスマが解く「弱肉強食」論の
ベースにあるのは「新自由主義」

 堀江氏、ひろゆき氏、成田氏の主張には共通した流れがあります。それは資本主義による淘汰、強めの「弱肉強食」、別の言い方をすれば「優れた人の礼賛」です。少子高齢化する日本では、構造的な理由で若い世代への分配は相対的に低くなり、お年寄りにチューニングされた「現状維持」の社会がやたらと優しく、バリアフリーでノロノロ進行に感じられます。また、既得権益を世襲する上流階級(つまりエスタブリッシュメント)も年々固定されてきているため、よほどの才能がなければ下剋上はかないません。

 全体的に淀んでいて、低め安定でぬるま湯につかっているのがこの日本社会なのです。バカ正直に努力することを拒み、日本式のわかりにくい細かいルールやマナーに一切配慮せず、倫理観をせせら笑って、誰とでも喧嘩することを恐れない彼ら成功者たちの姿は若者たちに爽快感をもたらしているのです。

 また3人が謳い上げる「弱肉強食」の味付けは、1980年代に経済学者ミルトン・フリードマンが唱えた「新自由主義」を継承するものでもあります。優れた人が手にした果実を凡庸な「その他大勢」の人々に分配することは、経済と社会の停滞をもたらす悪しき「ゆとり政策」であり、本物が本物らしく大暴れできる無法地帯が広がることで闘志がますますたぎる、という世界観なのです。

カリスマに洗脳された信者が
突きつけられる悲惨な現実

 儲けが出せない死に損ないのゾンビ企業を温存させず、やる気のない人間の終身雇用を切り捨てて、弱者をやたらと社会保障や生活保護で甘やかさない。なるべく規制を取り払って市場のパワーを解放し、アンプのダイヤルをマックスの「10」いや「11」にオーバードライブすることで真のイノベーションがもたらされるのだ、と。いざ月面へ、その向こうの火星へ、という勢いで「新自由主義」を加速させていこうとしています。

 これらの「新自由主義」を体現している超人たちはそれぞれにスーパーパワーを持っており、断定口調でわかりやすく言葉を放って、そこそこのインテリやぼんやりした権力者たちを一言で論破して回ります。それは「自分は世界のことがわかっているんだ」という強い意思表明であり、神の視点を思わせる全能者のようです。